リンネ以前の分類体系
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 15:21 UTC 版)
「リンネ式階層分類体系」の記事における「リンネ以前の分類体系」の解説
ギャスパール・ボアン(1620年)のPinax theatri botanici トゥルヌフォール(1700年)のInstitutiones rei herbariae リンネは1751年の著作Philosophia Botanica『植物学論』において、体系分類の創始者はアンドレア・チェザルピーノ(1519年 - 1603年)であるとし、他26人の植物の体系分類学者を列挙している。リンネはそうした分類学者を標識として重視した構造によって、チェザルピーノのような「果実主義者 fructist」やトゥルヌフォールのような「花冠主義者 corollist」などとし、「性」を標識としたのは自身がはじめであるとした。 古代ギリシアのテオプラストスは Περὶ φυτῶν ἱστορία『植物誌』において、480種の植物を取り扱ったが、体系分類への試みはなされていない。ヨーロッパでは紀元1世紀のディオスコリデスの Περὶ ὕλης ἰατρικῆς 『薬物誌』の分類が長い間重視され、ヨーロッパ外から導入された植物も増えた中世であっても、ルネサンス期に至るまで新たな分類体系は生まれなかった。 リンネに影響を与えたのはギャスパール・ボアン(1560年 - 1624年)が兄ジャン・ボアン(1541年 - 1612年)の記述をもとに著したPinax theatri botanici(1620年)であり、リンネの『植物種誌』の先駆的著作と見なされる。大場 (2009)はボアンによって集大成された植物の種についての情報と相違点を羅列した簡素な記載による情報処理が、リンネの『植物種誌』に与えた影響は少なくないとしている。しかしこの著作には体系的理解を行うための骨組みを欠いていた。 ジョゼフ・ピトン・トゥルヌフォール(1656年 - 1708年)はルイ14世の収集した数万に及ぶ植物やその標本を秩序立てて配置するために、Institutiones rei herbariae 『国王所蔵標本の配置』(1700年)を著し、植物の体系分類を試みた。ここでは顕花植物を木と草に二分し、それぞれについて花弁の有無や集合花か否か、花の相称性などを鍵として22のグループ class に分けた。トゥルヌフォールの取り上げた主要な形態形質には平行進化を生じる可能性が高いものが多かったが、キキョウ型類 Campaniformes やアブラナ型類 Cruciformes のように植物自体の類縁性に結び付くものもあった。そのためリンネの人為分類よりも実際の類縁関係に近い部分も多かったが、のちにリンネの分類にとってかわられた。トゥルヌフォールは二名法を用いていなかったが、「属」の概念を確立したのは彼であるとされる。後にリンネの Genera Plantarum 『植物属誌』(1737年)で属は現在と同様に定義され、現在でも分類階級として用いられている。
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