ラサ島燐鉱株式会社の設立と発展
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「恒藤規隆」の記事における「ラサ島燐鉱株式会社の設立と発展」の解説
1913年5月、資本金300万円のラサ島燐鉱株式会社が設立され、恒藤は合資会社に引き続き社長に就任する。株式会社化後も台風の被害、水不足の問題、労働問題等、多くの問題に見舞われたものの、事業自体は発展を続けた。 恒藤は様々な問題への対応を行いながら、桟橋、乾燥場など鉱山関連設備の増強を進め、また離島であるラサ島での鉱山経営に重要な無線電信と気象観測施設の開設に尽力した。そして1914年に開戦した第一次世界大戦に伴う好景気の中、リン酸肥料の需要は増大し、しかも戦争による船舶不足によって外国からのリン鉱石輸入が困難となったため、当時ほぼ日本唯一のリン鉱石産地であったラサ島のリン鉱石採掘は全盛期を迎えた。 1918年、最盛期を迎えたラサ島鉱業所は年間約182600トンのリン鉱石を採掘し、従業員は約2000人を数えた。1919年4月、上野精養軒で首相の原敬らを招待してラサ島開発10周年の記念祝賀会が開催された。当日、主催の恒藤はラサ島での事業成功を誇り、得意満面であったと伝えられている。
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