ラサ島燐鉱合資会社の設立と続く困難
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 21:19 UTC 版)
「恒藤規隆」の記事における「ラサ島燐鉱合資会社の設立と続く困難」の解説
ラサ島の鉱業権掌握に成功した恒藤は、1911年2月28日にラサ島燐鉱合資会社を設立し、自ら社長に就任する。なお社名の案としては亜細亜燐礦、東洋燐礦、北太平洋燐礦などが候補に上がったものの、恒藤の発案によりラサ島燐鉱合資会社となった。しかし後に恒藤自身が「同社(ラサ島燐鉱合資会社)の時代は一言もってこれを評すれば悲劇を演じたるという他なく、まことに惨憺たる有様にて終始した」と述べたように、まさに茨の道の連続であった。
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