ラコタ・スー族からの批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/15 15:30 UTC 版)
「クレイジー・ホース記念碑」の記事における「ラコタ・スー族からの批判」の解説
当地では、この像はすでに多数の観光客を呼び寄せる観光名所となっている。しかし、この記念碑の建立自体は、スー族のみならず、様々なインディアン部族の間に反響と賛否両論の争いを生んだ。スー族の伝統派のほとんどは、この事業に反対している。 1972年に、ミネコンジュー・スー族の伝統派メディスンマン、レイムディアーはこの記念碑を評して、次のように述べている。 美しくも荒涼としたこの山をクレイジー・ホースの像にすることは、その景色を汚す行いであり、何よりもクレイジー・ホースの精神に反している。 クレイジーホースはあんな容姿をしていなかったし、指を差すようなこともなかった。 2001年、「アメリカインディアン運動」(AIM)の活動家で、オグララ・スー族のラッセル・ミーンズは、「クレイジー・ホース記念碑」についてのインタビューにこう答えている。 1972年に彼の家で酒を飲んだ時、ジオルコウスキーはあの彫刻についてこう言いました。「P・T・バーナムの言葉で言うと、あいつは分刻みで(金を)吸い上げてくれる」。クレージーホース記念碑は茶番です。これが完成しても、稲妻がすべてを破壊するでしょう。クレージーホースを撮った写真は一枚もありません。ジオルコウスキーは老酋長を集めて、彼らにそれぞれ100ドルを渡して、彼らにポーズをとって「パイプ」を吹かすよう頼んだので、後でジオルコウスキーは「彼らの賛同を得た」と主張することができました。 またミーンズは、記念碑が及ぼす様々な影響についてはこう答えている。 歴史を逆行させるようなことが起こっています。彼(ジオルコウスキー)のストーリーは、我々インディアンを18、19世紀へ追いやり続けます、分かりますか? インディアンの人々は、「遺物」なのです。我々は、現在の中に存在しません。それは非インディアンの言葉をわかりやすいものにします。「ああ、見よ、我々は貧しいインディアンとそのロマンチックなイメージが好きです、そして、我々の先祖が彼らにしたことは申し訳ないことです。それでも我々は、罰を受けることもなく今日もインディアンの人々にそれをし続けることができます」。 こういうわけで、ことの善し悪しのわかるインディアンたちは、我々の聖地にある神聖な山を切り刻まれることを嫌がるわけです。あなたがキリスト教徒、またはユダヤ教徒、またはイスラム教徒であるかどうかに関係なく、まずイスラエルの聖地に行くことを想像してみてください。そして、「シオンの山」を切り分け始めてみてください。それは、我々の全存在に対する侮辱です。あそこのラシュモア山に白人の顔が4つ刻まれて、偽善の神殿にされていることだけで、もう十分にひどいことです。
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