ライト兄弟への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/20 10:04 UTC 版)
「オットー・リリエンタール」の記事における「ライト兄弟への影響」の解説
1889年に発行した研究資料・実験記録『航空技術の基礎としての鳥の飛行』には、自然風中での実験により得た円弧翼のデータが含まれていた。ライト兄弟は、オクターヴ・シャヌートの手を経て一部が英訳されたこの本を入手し、彼らが「リリエンタールの表」と呼んだこの翼型データも利用して、1900年と1901年にグライダーを製作した。しかしながら、いずれも計算通りの十分な揚力が得られなかった。これは、以下のような点が原因だったとされる。 リリエンタールの表は、中央付近がふくらんだ円弧状の翼型、かつ、翼端がとがった翼平面形についてのデータであったのに対して、グライダーには前縁付近がふくらんだ翼型、かつ、ほぼ矩形の翼平面形を採用したこと 不正確なスミートン係数を使用したこと アスペクト比が小さすぎた(これはリリエンタールの表とは直接関係しない) オットー自身も誤ったスミートン係数を使用しており、ライト兄弟もそれを根拠として使用したと思われるが、計算過程でその影響は打ち消されていたため、「表」の数値そのものは正しかった。ところが、はじめライト兄弟はこれに気づかず、次第に「表」の数値そのものを疑うようになり、結局、自分たちで風洞実験を行って正しいスミートン係数を得た。ただし、彼らも後には「表」が適用できる条件を正しく認識したようである。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}19世紀に飛行に取り組んだ人々の中で、オットー・リリエンタールは明らかに最も重要である。… 彼の数百年も前から滑空が試みられてきたことは事実であり、19世紀にもケイリー、スペンサー(en)、ウェナム、ムイヤールといった人々が滑空を試みたが、彼らの試みは全くの失敗であり価値ある結果を生み出さなかった。 —ウィルバー・ライト 1909年9月、オーヴィル・ライトがドイツを訪れテンペルホーフ飛行場で飛行デモンストレーションを行った。その際にリリエンタールの未亡人を招待し、リリエンタールの功績に敬意を表し彼らへの影響を認めた。
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