ヨーゼフ・フリッツルの裁判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 00:31 UTC 版)
「フリッツル事件」の記事における「ヨーゼフ・フリッツルの裁判」の解説
ヨーゼフ・フリッツルの裁判は、2009年3月16日にザンクト・ペルテンでアンドレア・ハマーを裁判長として始まった。 1日目、ヨーゼフはオーストリアの法律に基づいて、青いバインダーの後ろにカメラから顔を隠しながら法廷に入った。開廷が宣言されると、全てのジャーナリストや傍聴人は法廷から退出するように促され、すぐにヨーゼフはバインダーを下ろした。ヨーゼフは殺人と脅迫を除く全ての罪について弁明した。 弁護士のルードルフ・マイヤーは開廷の挨拶で陪審員に対し、客観的に判断し、感情に流されないよう要請した。彼は、ヨーゼフは「モンスターではなく」、クリスマスの休日には、地下牢にクリスマスツリーを飾ったことを明らかにした。 検察官のクリスティアナ・ブルクハイマーはこの事件が主任検察官として最初に担当する事件だった。彼女は陪審員に対し、1m74cmの法廷のドアを示して天井がいかに低かったかを訴え、被害者が精神的に圧迫されていたことを訴えた。またじめじめした地下室から採取したカビ臭い物体を法廷に持ち込んで環境の劣悪さを実証し、ヨーゼフに対する終身刑を訴えた。 この日、陪審員は2008年7月にエリーザベトが警察官や精神科医と交わした11時間に及ぶ会話の記録を見た。このテープは非常に「痛ましい」もので、8人の陪審員は一度に2時間以上は見ることができなかったと言われている。陪審員が審理に耐えられなくなった場合に備え、4人の補充陪審員が控えていた。 ビデオの検討の他に、新生児医で精神科医であったエリーザベトの兄ハラルトの証言も行われた。ロゼマリアやエリーザベトの子供達は証言を拒否した。 弁護士のルードルフ・マイヤーは、審理2日目にビデオによる証言が行われていた際、変装したエリーザベトが傍聴席に座っていることを確認し、「ヨーゼフはエリーザベトが法廷にいることに気付き、青ざめて崩れ落ちた。これはヨーゼフの心が入れ替わった証拠だ」と訴えた。翌日、ヨーゼフは裁判官に歩み寄り、全ての罪に対する弁明を撤回した。 2009年3月19日、ヨーゼフに15年間の仮釈放を認めない終身刑の判決が下った。彼は判決を受け入れ、控訴しない意向を示した。ヨーゼフは現在、かつて修道院だったオーバーエスターライヒ州にあるガルステン刑務所の精神疾患犯罪者のための特別な区画に収監されている。
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