ヤーキスによる買収
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 00:16 UTC 版)
「ロンドン地下電気鉄道」の記事における「ヤーキスによる買収」の解説
ロンドンでヤーキスはまずチャリングクロス・ユーストン・アンド・ハムステッド鉄道(英語:Charing Cross, Euston and Hampstead Railway、CCE&HR)を買収した。チャリングクロス・ユーストン・アンド・ハムステッド鉄道はチャリング・クロスからハムステッド及びハイゲートへの大深度路線の議会許可を得ていたが、株式の売却は不調であり、建設資金を集められていない状態だった。多数の鉄道会社の顧問弁護士を務め、ルース選挙区(英語版)選出の国会議員だったロバート・パークス(英語版)は、1900年9月28日にヤーキスとアメリカの投資家集団にチャリングクロス・ユーストン・アンド・ハムステッド鉄道を10万ポンド(2013年の約940万ポンドに相当)で購入することを提案した。 パークスはヤーキスがチャリングクロス・ユーストン・アンド・ハムステッド鉄道の次に買収を検討していたディストリクト鉄道の大株主でもあった。1901年3月までに、ヤーキス以下の投資家集団はディストリクト鉄道の経営権を握り、電化を提案した。ヤーキスは1901年7月15日にヤーキス自身を社長とするメトロポリタン・ディストリクト電気鉄道(英語:Metropolitan District Electric Traction Company、MDETC)を設立し、発電所の建設と電気車両の製造を含む電化計画の実現に10万ポンド(2013年の940万ポンドに相当)の資金を集めた。パークスは1901年9月にディストリクト鉄道の会長に就任している。 ブロンプトン・アンド・ピカデリーサーカス鉄道(英語:Brompton and Piccadilly Circus Railway、B&PCR)は1896年に設立された大深度地下鉄の会社で、1898年にディストリクト鉄道に買収されたものの、別会社として残されていた。ブロンプトン・アンド・ピカデリーサーカス鉄道はサウス・ケンジントンからピカデリー・サーカスまでの大深度地下鉄の議会許可を得ており、この路線はサウス・ケンジントンでディストリクト鉄道が計画していた別の大深度地下鉄と接続する計画となっていたが、路線建設の資金を集められずにいた。1901年9月12日、ディストリクト鉄道の支配下にあったブロンプトン・アンド・ピカデリーサーカス鉄道の取締役会は同社をメトロポリタン・ディストリクト電気鉄道に売却した。ブロンプトン・アンド・ピカデリーサーカス鉄道は同じ月にストランド(英語版)からフィンズベリー・パークまでの路線建設許可をもっていたグレート・ノーザン・アンド・ストランド鉄道(英語:Great Northern and Strand Railway、GN&SR)の経営権を握っている。その後、ブロンプトン・アンド・ピカデリーサーカス鉄道とグレート・ノーザン・アンド・ストランド鉄道の路線は接続され、ディストリクト鉄道の大深度路線の一部に組み込まれることでグレート・ノーザン・ピカデリー・アンド・ブロンプトン鉄道(英語:Great Northern, Piccadilly and Brompton Railway、GNP&BR)となった。 1902年3月にヤーキスはパディントンからエレファント・アンド・カッスルまでの路線の建設許可をもつベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道(英語:Baker Street and Waterloo Railway、BS&WR)を36万ポンド(2013年の3410万ポンドに相当)で買収した。ヤーキスのロンドンでの最後の鉄道会社買収案件である。ヤーキスが買収した他の会社は計画、資金集めの段階だったが、ベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道の建設工事は1898年に始まっており、1900年に親会社であるロンドン・アンド・グローブ金融がワイテイカー・ライト(英語版)社長の詐欺で経営破たんし、建設が中断した時点で工事はかなり進捗していた。 ヤーキスは買収した各社がそれぞれの事情を抱えていることを考慮、建設計画を遂行するために持ち株会社であるロンドン地下電気鉄道を1902年に設立、各社を傘下に置くとともに自身が会長に就任した。1902年6月8日、ロンドン地下電気鉄道は株式交換と株式購入によりメトロポリタン・ディストリクト電気鉄道を買収した。
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