ヤフェト理論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/25 17:50 UTC 版)
マルの「ヤフェト理論」の萌芽は、ロシア革命前の1910年代に行われたカフカース諸語の研究に遡る。 マルは、カフカース諸語、中でもマルの母語であるグルジア語が属するカルトヴェリ諸語の起源について強い関心を持つようになった。マルはセム・ハム語族の諸言語と、カルトヴェリ諸語との類縁性を主張し、ノアの息子であり、セムの弟であるヤペテから名前を取って、自説を「ヤフェト理論」と命名した。 マルは、インド・ヨーロッパ語族の諸言語の出現よりも前に、ヤフェト祖語の話者はヨーロッパに広範に存在しており、現在でもインド・ヨーロッパ語族の言語の中にヤフェト祖語の要素を見出すことができると主張した。 ソビエト体制下で、マルはヤフェト理論とマルクス主義の接続を図り、言語の「階級性」を強調するようになる。彼の主張は、言語の相違は、社会階級の相違を反映しており、異なる「民族」であっても、属している階級が同じであれば、その話す言語は多くの共通点を有するというものであった。 マルは、社会の生産関係に規定された「上部構造」として言語を位置づけ、言語の共通性によって「民族」が形成されるとする主張を、ブルジョワ民族主義によって作られた「虚偽意識」であると批判した。 マルの言語理論では、言語とは、単一の祖語から歴史的に分化、発展するものではなく、社会の発展段階に応じて変化、混交するものとみなされた。 マルと同じくスターリンの支持の下で、生物学における後天的な形質獲得を強調するルイセンコ学説が、ソビエト学会を支配した。マルの「ヤフェト理論」は西側諸国(西洋)への敵意、社会の発展段階に応じて文化や制度が規定されるとするマルクス主義の理論を、自然科学や人文科学の領域にも適用しようとするスターリン時代のソビエト学会の風潮を反映したものだったといえよう。 といっても世界諸民族の祖語を考えたマルの影響は大語族に重点を置く後のソビエトやロシアの言語学会に大きく影響を与えている。en:Vladislav Illich-Svitychとen:Aharon Dolgopolskyによるノストラティック超語族の研究は有名である。ソ連のセルゲイ・スタロスティンが開発させたソフトウェアSTARLINGのダイアグラムによればカルトヴェリ語の純祖語であるユーラシア大語族と、アフロ・アジア語族はノストラティックの祖語を共有する。さらにスタロスティンが研究するバスク語が属すデネ・コーカサス語族とノストラティック語族はボレア語族が共通の祖語である。
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