ヤヒアが述べる経歴への疑義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/03 15:39 UTC 版)
「ラティフ・ヤヒア」の記事における「ヤヒアが述べる経歴への疑義」の解説
『アイリッシュ・タイムズ』紙の記者ヨーン・バトラー (Eoin Butler) と『サンデー・タイムズ』紙の記者エド・シーザー (Ed Caesar) は、ウダイの影武者だったことなど、ヤヒアが自称する様々な主張を検証し、1992年にイラクを出国して以降について自称されていることの多くが、学歴などを含め、実証できないことを指摘している。 2007年、バトラーは、ヤヒアにインタビューをして、ヤヒアが様々な機会に説明してきた内容に色々な矛盾があることに焦点を当てた記事を書いた。2011年、ヤヒアの著書『デビルズ・ダブル (The Devil's Double)』の発売前に、バトラーは、ヤヒアがウダイの影武者だったときの物語は、「穏やかな言い方をすれば、手の込んだありそうにもない話 (to put it mildly, far-fetched)」だと述べている。2007年のインタビューが発表された後、ヤヒアの元妻がバトラーに連絡してきて、彼女が最初にヤヒアに出会ったときには、ハーリド・アル・クバイシ (Khalid al-Kubaisi) という名前を使っていたと告げた。彼女が、ウダイの影武者という話をはじめて耳にしたのは、結婚した後のことだったが、彼女はその話を「疑わしい (dubious)」と思ったという。 2011年、シーザーはフセイン政権時代を知る様々な人々へのインタビューをおこなった。サッダーム・フセインが影武者を立てているという話は広く知られていたが、ウダイと親しかった女性2人はウダイについては影武者はいなかったと断言した。女性のひとりは、ヤヒアは1990年に、ウダイを騙ったとして投獄されたのだと話し、もうひとりは、同様のことを裏付けた上で、ヤヒアが女性を引っ掛けるためにウダイのふりをしていた、と述べた。1989年から2003年まで大統領宮殿で護衛役を務めていた人物は、ウダイは影武者を立てたことはないと否定した。サッダーム・フセインの担当医であったイブン・シーナ (Ibn Sina) 病院の整形外科医は、ヤヒアが主張するような形成外科手術が行われた事実はないとした。彼は、ウダイへの外科手術は数多く施術したが、ウダイに影武者がいたということはなかった、とも述べた。当時のイラクの諸事に通じ、フセイン兄弟に近い人物とも友人だったと称するアメリカ合衆国中央情報局 (CIA) のイラクにおける元職員は、ヤヒアのことは当時聞いたことはなかったし、ウダイが影武者を使っているという話もまったく聞かなかったと述べた。ヤヒアは、こうした主張に反論し、彼の存在は国家機密だったのだと述べた。 サッダーム・フセインは拘束後の尋問(英語版)において、イラクの政権関係者、特にウダイが影武者を立てていたかと問われたのに対し、そうした話を否定した上で、「息子たちはそんなことはせんだろう (I think my sons would not do this)」と述べたという。
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