モントリオールとノースショア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 18:48 UTC 版)
「イドロ・ケベック」の記事における「モントリオールとノースショア」の解説
1943年秋、ゴッドバウト首相はケベック州最大の都市であるモントリオールに電気とガスを供給していたMLH&Pを管理下に置くための法案を提出した。1944年4月14日、公企業「ケベック・ハイドロエレクトリック・コミッション」通称「イドロ・ケベック」の設立を定めた第17号法案がケベック議会で成立した。この法令は電気が来ていないか限られている地域において標準以下の送電網を修復し農村電化の早急な実行するために、モントリオール地域において電力とガスの供給を独占する新たな公共事業体の設立や「健全な財政運営を伴った一貫した低価格」な供給をイドロ・ケベックに委任することを定めたものだった。 次の日の1944年4月15日にMLH&Pは買収、急激に伸びる電力需要に応えるために今後の数年で600メガワットの発電能力を早急に増やす必要があったため経営方針を速やかに転換した。1948年、イドロ・ケベックは14番目の発電所を新設し、ボーアルノア発電所における2つのリニューアルのうちの1つの構築に着手した。その後、セントローレンス川のコート・ノール地域にあるフォレストヴィル近くのベルシミ川(Betsiamites River)に目をつけ、モントリオールから700キロメートル (430 mi)東に1953年から1959年にかけてベルシミ第一発電所とベルシミ第二発電所(英語版)を建設したが、設立間もない企業にとって試金石になったと考える人も多い。またケベック州北部における次の30年間以上行われた大規模開発の事前調査も行った。 モーリス・デュプレシ時代に始めた他のプロジェクトにはボーアルノア発電所の第2期更新工事やオタワ川でのカリロン発電所建設がある。1944年から1962年にかけてイドロ・ケベックは発電容量を616メガワットから3,661メガワットと6倍に増やし、モントリオール地域の住宅向け電気料金を半分にした。
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