モダニスト・ファンダメタリスト論争(1923年-1924年)
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「進化論裁判」の記事における「モダニスト・ファンダメタリスト論争(1923年-1924年)」の解説
1923年から1924年に、ニューヨークを舞台に「進化論対創造説」議題に論争が交わされた。論者はジョン・ローチ・ストラットン(JohnRoach Straton) (1875-1929) とチャールズ・フランシス・ポッター (CharlesFrancis Potter) (1885-1962) であった。「創造説」の論者であったストラットンはカルパリ・パプテスト教会の牧師であり、ファンダメンタリストであった。一方、「進化論」の論者のポッター はウエストサイド・ユニテリアン教会の牧師であり,モダニストであった。 「聖書無謬説」の論点 1日目は「聖書無謬説」を中心に討論された。「創造説」の論拠となった「聖書無謬説」は、1880年代にプリンストン神学校にて生まれたものであった。「聖書無謬説」は「聖書は、神が著者に霊感を与えて書かせたものであり、故に一語一句に至るまで正しい絶対的・超自然的権威」としていたファンダメンタリストが受け入れていた。しかし、聖書の無謬性を示す諸々の証拠であるとするものを提示したのに対して,「聖書無謬説」は「高等批評」(Higher Criticism)の高等批評家によって聖書の誤りや矛盾が次々と発見されていた。ポッターは「聖書無謬説」の問題点に対し高等批評的見地から反論を展開し,聖書無謬説の脆さを示したまた、聖書の超自然的起源を否定しそれをある時代の人間による創作であると位置付けることによって,聖書の絶対的基盤を崩していた。 「進化論」の論点 2日目は「進化論」を中心に討論が展開された。チャールズ・ダーウィンによって体系づけられた科学理論であった。伝統的キリスト教を現代社会に適応させた「モダニスは「進化論」を」が支持していた。進化論の論点は、科学的な妥当性、証拠の信憑性などを討論された。進化の「起因」の妥当性の問題 があり、獲得形質遺伝を主張したラマルク説、自然選択を主張したダーウィン説、双方とも支持されなくなっていた。。地質学的証拠の信憑性の問題があり、進化論に対し聖書を裏付ける科学的根拠としてジョージ・プライスによる「岩層の配列が「非現実的で不自然な方法」で年代別に分類されてきたと主張し,進化論に代わる「より合理的な」仮説として,かつて世界規模の洪水があったという聖書的見解」を示した。。また、「無数の中間種」がほとんど存在しない問題があった。 論争の勝敗 第一回目の討論では高等批評的見地から反論を展開したポッターが勝利し。2回目の討論では確実性の欠く進化論の証拠を反証したストラットンが勝利した。
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