メディオラヌム_(列車)とは? わかりやすく解説

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メディオラヌム (列車)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 14:58 UTC 版)

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1957年 - 1958年冬時点のTEE網におけるメディオラヌム(赤)
ミュンヘン中央駅に停車中のメディオラヌム(1970年)

メディオラヌム」(Mediolanum) は西ドイツミュンヘンイタリアミラノを結んでいた国際列車である。途中オーストリアチロル州およびブレンナー峠を経由していた。

1957年TEEとして運行を開始した。1984年インターシティに変更されるとともにドイツ側の運行区間をドルトムントまで延長した。1987年ユーロシティになる際に「レオナルド・ダ・ヴィンチ」(Leonaldo da Vinci) と改名された。なお「メディオラヌム」という列車名は2001年バーゼル - ミラノ間のインターシティとして復活している。

列車名はミラノのラテン語名に由来する[1]

歴史

前史

イタリア・オーストリア国境のブレンネロ(ブレンナー)駅(2010年)

現在のオーストリア・チロル州(北チロル)とイタリア・ボルツァーノ自治県(南チロル)の境界にあるブレンナー峠を越える鉄道が開通したのは1867年のことである。この路線はドイツなど中央ヨーロッパとイタリア、地中海とを結ぶ重要な幹線となった。最高地点の標高は1,370 m, 最急勾配は26 であったが、長大トンネルは存在しなかった[2]

1957年のTEE導入以前、ミュンヘン - ミラノ間の最速列車は「アルペン・エクスプレス」(Alpen Express) で、所要時間はミラノ行きが10時間43分、ミュンヘン行きが10時間45分であった[3]

TEE

1956年ヨーロッパ時刻表会議で、翌1957年からTEEの運行を始めることが決まり、そのうちの一つとしてミュンヘン - ミラノ間にイタリア国鉄ALn442/448型気動車によるTEE「メディオラヌム」が設定されることになった。しかしイタリア国鉄がブレーダ社に発注していた車両の納入が遅れた[4]ため、6月2日のTEE発足には間に合わず、「メディオラヌム」が実際に運行を始めたのは10月15日となった[2]

運行開始時点での所要時間はミラノ行が7時間20分、ミュンヘン行が7時間34分と、TEE以前と比べ約3割短縮された[3]。その後所要時間は徐々に短縮され、1960年にはミラノ行が7時間を切っている[2]

1960年代末になると、イタリアの気動車が他国のTEE用車両と比べ設備面で見劣りすることが問題視されるようになった。1968年の時刻表会議で、西ドイツ国鉄は「メディオラヌム」を廃止し、代わって西ドイツの国内TEEで、ミュンヘンで「メディオラヌム」と接続していた「ブラウエル・エンツィアン」(ハンブルク - ミュンヘン)をミラノまで延長することを提案した。イタリア国鉄はこれに反対し、将来は新型客車で置き換えることを約束するとともに、当面の措置として西ドイツ国鉄の601形(旧称VT11.5型)気動車で置き換えることに決まった[5]

601形気動車への置き換えは1969年6月1日のダイヤ改正で実施された。これは同改正でTEE「パリ・ルール」(パリ - ドルトムント)が客車列車化されたことにより、余った車両を利用したものである[2]。601形は走行性能の面でも優れており、26 ‰の登り勾配を60 km/hで走ることができた。これにより所要時間は6時間48分(翌年には6時間39分)にまで短縮された[6]

1972年にはイタリア国鉄の国際TEE用客車が完成し、8月20日から「メディオラヌム」は電気機関車牽引の客車列車となった。電化方式はブレンネロを境に北の西ドイツとオーストリアが交流15 kV・16 2/3 Hzで、南のイタリアは直流3 kVであり、ブレンネロ駅で機関車の交換が行なわれた。客車化によって所要時間はやや延びたが、それでもALn442/448型気動車の頃よりは短かった[7]

インターシティ

1982年にはTEE「リーグレ」(ミラノ - マルセイユ - アヴィニョン)、「レマノ」(ミラノ - ジュネーヴ)が二等車を連結した国際インターシティに種別を変更し、「メディオラヌム」は唯一残ったイタリア国鉄車による国際TEEとなっていた[7]

1984年6月3日の夏ダイヤ改正で「メディオラヌム」もインターシティに変更され、同時に運行区間をドルトムント - ミュンヘン - ミラノ間に延長した[7]

1987年5月31日のユーロシティ発足とともに、「メディオラヌム」はユーロシティになったが、列車名は「レオナルド・ダ・ヴィンチ」と改められた[7]

その後「メディオラヌム」という列車名は2001年6月10日にバーゼル - ミラノ間の国際インターシティの名として復活したが、TEE時代の運行区間とは関係なく、使用車両もスイス国鉄のものであった。この列車は2004年12月12日にユーロシティに昇格するとともに、チザルピーノの運営になった[7]

ミュンヘン - イタリア間のユーロシティ

ユーロシティ「レオナルド・ダ・ヴィンチ」は1991年夏ダイヤ改正でミュンヘン - ミラノ間に短縮された。この他、ブレンナー峠経由のミュンヘン - イタリア間にはユーロシティが以下のように新設された[8]

  • 1988年夏:「ミケランジェロ」(Michelangelo, ミュンヘン - ローマ
  • 1990年夏:「ガルダ」(Garda, ミュンヘン - ヴェローナ
  • 1991年夏:「パガニーニ」(Paganini, ミュンヘン - ヴェローナ)
  • 1995年夏:「ティエポロ」(Tiepolo, ミュンヘン - ヴェネツィア

年表

  • 1957年10月15日:TEE「メディオラヌム」、ミュンヘン - ミラノ間で運行開始。
  • 1972年8月20日:客車列車化。
  • 1984年6月3日:国際インターシティに種別を変更し、ドルトムント - ミュンヘン - ミラノ間に延長。
  • 1987年5月31日:「レオナルド・ダ・ヴィンチ」と改名。ユーロシティに種別変更。

現況・将来

2010年 - 2011年冬ダイヤ時点において、ブレンナー峠経由のドイツ・オーストリア・イタリア間のユーロシティは以下のように運行されている。

  • ミュンヘン - ヴェローナ:2往復
  • ミュンヘン - ミラノ:1往復
  • ミュンヘン - ボローニャ:1往復
  • ミュンヘン - ヴェネツィア:1往復

ローマへのユーロシティは現存しない。このほかミュンヘン - インスブルック間のユーロシティ1往復があり、週に1日のみ峠を越えてボルツァーノまで延長される。これらを合わせるとミュンヘン - インスブルック、ボルツァーノ間では約2時間間隔の等間隔ダイヤとなっている[9][10]。イタリア国内で運行を担当しているのは北ミラノ鉄道 (Ferrovie Nord Milano) であり、ミラノでの発着駅はミラノ・ポルタ・ガリバルディ駅である[11]

これらのユーロシティは将来レイルジェットに置き換えられる計画がある[12]欧州連合は欧州横断輸送ネットワーク (Trans-European Transport Networks, TEN-T) の一つとして、2015年をめどにベルリン - ミュンヘン - ヴェローナ - ナポリ - パレルモの鉄道軸の改良を計画している[13]。その一部としてブレンナー峠ではブレンナーベーストンネルが建設されている。またオーストリア領内のイン川谷の路線の高速線は2012年に開業する予定であり、これらにより所要時間は大幅に短縮される見込みである[14]

停車駅一覧

TEE時代の「メディオラヌム」の停車駅は以下の通り[1]

駅名 備考
西ドイツ ミュンヘン中央駅
オーストリア クーフシュタイン
Kufstein
インスブルック中央駅
Innsbruck Hbf
イタリア ブレンネロ
Brennero
ボルツァーノ
Bolzano
トレント
Trento
ロヴェレート
Rovereto
1979年夏までは夏ダイヤ期間のみ停車。ただし1969年から1971年と1976年、1977年の夏は通過。1979年冬ダイヤ改正(9月30日)以降は通年停車。
ヴェローナ・ポルタ・ヌオーヴァ駅
Verona Porta Nuova
ブレシア
Brescia
1979年9月30日から停車。
ミラノ中央駅

車両・編成

気動車

ALn 442/448型気動車

1957年の運行開始時点で用いられたのはイタリア国鉄所属のALn442-448気動車である[1]。2両固定編成で用いられており、定員は90名(すべて一等開放座席車[15]。また食堂車はなく厨房から各座席に直接食事が運ばれる方式で、空調設備は装備されていなかった[16]

1969年6月1日から、使用車両は西ドイツ国鉄の601型(旧称VT11.5型)気動車に代わった。これは7両編成で用いられたが、両端の2両は動力車で旅客のためのスペースはなく、客車は5両である。また1両あたりの長さはイタリアの気動車より短い。編成定員は122名で、食堂車も備えていた[17]

1969年当時、この車両はフランクフルト=グリースハイム車両基地に所属していた。フランクフルト - ミュンヘン間の特急列車 (F-Zug)「インターシティE[注釈 1] プリンツレゲント」と共通の運用が行なわれており、フランクフルト - ミュンヘン - ミラノ間を2日で一往復した[18]。ただし「プリンツレゲント」はミュンヘン行はヴュルツブルク経由、フランクフルト行はシュトットガルト経由と、往復で経路が異なっていた。

1971年に西ドイツでインターシティの運行が始まってからも、「メディオラヌム」の車両はフランクフルトまたはヴィースバーデンとミュンヘンの間のインターシティと共通の運用とされた[19]。この時期、車両は形式上はハンブルク=アルトナ車両基地所属とされていたが、実際にはフランクフルトを拠点に運用されていた[18]

客車・機関車

イタリアの客車で運転されるTEE「メディオラヌム」。牽引機は西ドイツ国鉄の111型。

1972年8月20日から、メディオラヌムの車両はイタリア国鉄の国際TEE用客車になった[1]。編成は5両からなり、一等コンパートメント車2両、食堂車1両、一等開放座席車1両、荷物電源車1両で[20]、編成定員は144名である[21]

牽引した電気機関車ブレンネロを境に、北のミュンヘン - ブレンネロ間は西ドイツ国鉄またはオーストリア連邦鉄道(オーストリア国鉄)の交流機関車、南のブレンネロ - ミラノ間はイタリア国鉄の直流機関車である。北側では当初西ドイツ国鉄の110型 (Baureihe 110) または112型機関車が用いられた[7]が、1974年以降は西ドイツの111型 (Baureihe 111) またはオーストリア国鉄の1044型 (ÖBB 1044) となった[22]。南側ではE.444型機関車 (E.444) が主に用いられた[7]が、時期によってはE.646型 (E.646)、E.656型 (E.656)、E.632型E.633型が牽引したこともある[22]

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ この時点では「インターシティ」は独立した列車種別ではなく、一部のF-Zugに冠された名である。

出典

  1. ^ a b c d Mertens & Malaspina 2007, p. 206
  2. ^ a b c d Mertens & Malaspina 2007, pp. 206–209
  3. ^ a b Mertens & Malaspina 2007, pp. 12–13
  4. ^ Mertens & Malaspina 2007, pp. 194–199
  5. ^ Mertens & Malaspina 2007, p. 236
  6. ^ Koschinski 2001, p. 40
  7. ^ a b c d e f g Mertens & Malaspina 2007, pp. 208–209
  8. ^ Malaspina 2005, pp. 90–91
  9. ^ Thomas Cook European Rail Timetable December 2010, table 70
  10. ^ DB-ÖBB Eurocity/Das neue Bahnangebot in Italien” (ドイツ語). ÖBB Italia. 2010年11月14日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2010年12月16日閲覧。
  11. ^ Thomas Cook European Rail Timetable December 2010, table 595
  12. ^ 橋爪 2010, pp. 72–72
  13. ^ Malaspina 2005, p. 95
  14. ^ Priority Project 1 Railway axis Berlin-Verona/Milano-Bologna-Napoli-Messina-Palermo” (英語). 欧州委員会欧州横断輸送ネットワーク (TEN-T) 執行機関. 2011年2月5日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2010年11月19日閲覧。
  15. ^ Mertens & Malaspina 2007, p. 52
  16. ^ Koschinski 2007, p. 71
  17. ^ Mertens & Malaspina 2007, pp. 54–59
  18. ^ a b Scharf & Ernst 1983, pp. 613–615
  19. ^ Scharf & Ernst 1983, p. 387
  20. ^ Mertens & Malaspina 2007, p. 209
  21. ^ Mertens & Malaspina 2007, pp. 134–139
  22. ^ a b Mertens & Malaspina 2007, pp. 84–85

参考文献

  • 橋爪智之 (2010), “ユーロシティ”, in 「地球の歩き方」編集室, ヨーロッパ鉄道の旅, 地球の歩き方 by Train (改訂第4 ed.), ダイヤモンド社, ISBN 978-4-478-05823-7 
  • Koschinski, Konrad (2001) (ドイツ語), VT 11.5 und VT 18.16 (Eisenbahn Journal Sonder-Ausgabe), Fürstenfeldbruck, Germany: Eisenbahn JOURNAL, ISBN 3-89610-084-X 
  • Koschinski, Konrad (2007) (ドイツ語), Die TEE-Story (Eisenbahn Journal Sonder-Ausgabe 1/2007), Fürstenfeldbruck, Germany: Eisenbahn JOURNAL, ISBN 978-3-89610-170-9 
  • Malaspina, Jean-Pierre (2005) (フランス語), Train d'Europe Tome 1, La Vie du Rail, ISBN 2-915034-48-6 
  • Malaspina, Jean-Pierre (2006) (フランス語), Train d'Europe Tome 2, La Vie du Rail, ISBN 2-915034-49-4 
  • Mertens, Maurice; Malaspina, Jean-Pierre (2007) (フランス語), La légende des Trans-Europ-Express, LR Press, ISBN 978-2-903651-45-9 
  • Scharf, Hans-Wolfgang; Ernst, Friedhelm (1983) (ドイツ語), Vom Fernschnellzug nach Intercity, Eisenbahn-Kurier, ISBN 3-88255-751-6 
  • Thomas Cook European Rail Timetable, Thomas Cook, ISSN 0952-620X  各号

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