メキシコシティの陥落
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/03 16:26 UTC 版)
「メキシコシティの戦い」の記事における「メキシコシティの陥落」の解説
メキシコ軍事政府(アルコルタ、カレラ、ロンバルディーニおよびフランシスコ・ペレス)はその軍隊(大砲14門、騎兵4,000名(キハーノとアンドラーデ旅団)、および歩兵5,000名(オラグイベル知事のトルサ国防軍、アロヨ指揮官のラゴス、イトゥルビデ、ツーラ各大隊、マルティネス将軍の様々な哨兵隊、ペレス将軍の第11歩兵連隊と軽連隊の残り))を夜の間に市内から撤退させ、アメリカ軍は次の襲撃を予測していたが、市内の防御が無いことを発見した。ワース隊とクイットマン隊は慎重に前進した。 クイットマンはP・G・T・ボーリガード中尉にシウダデラの降伏を手配するよう派遣した。ボーリガードとマンスフィールド・ラベルは1人のメキシコ軍士官と出遭い、その士官は占領したシウダデラ(大砲15門)の受け取りを要求した。ボーリガードは「彼らの剣の先に受け取りを渡そう」と叫んだ。スコットは正式に市中に入る栄誉をクイットマンの師団に与えた。征服軍は印象的というには程遠く、兵士達はボロボロになった血の染み跡のある制服を着ており、クイットマンが市中に入ったとき靴は片方しかなかった。ワースが自ら王宮に翻っていた旗を降ろし、アメリカ海兵隊がその代わりにアメリカ国旗を掲揚した。 クイットマンは王宮の前、市の中心にあるソカロ広場に行進し、そこで正式な降伏が行われた。ワースの師団が市中に入ったとき、先導部隊はジョン・ガーランドの旅団だった。 サンタ・アナの撤退後、市内に残されたメキシコ軍の落伍兵が家屋の屋根に上り、アメリカ兵に向けて射撃を始めた。ガーランド将軍は初めの弾で胸を撃たれ、重傷を負った。サンタ・アナは市を明け渡す前に、3万人の囚人を市中に放っており、これら屋根の上からの狙撃は囚人たちを同じような行動に走らせた。ワースがこれらの狙撃を抑えさせることができた。ウィリアム・S・ハーニーの竜騎兵隊がスコット将軍の市中に入るのを護衛し、スコットはその染み1つ無い制服を着て、愛国的音楽に迎えられた。スコットは政治的才覚のあるクイットマンを軍政府長官に指名し、クイットマンは王宮から支配した唯一のアメリカ人になった。 このメキシコシティ占領後は小さな戦闘があったものの既に大勢は決しており、1847年2月2日に調印されたグアダルーペ・イダルゴ条約により、米墨戦争は終わった。
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