ミルウォーキー市長時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/21 22:00 UTC 版)
「フランク・ザイドラー」の記事における「ミルウォーキー市長時代」の解説
市長在任中のミルウォーキーは産業(就中ビールを筆頭とする醸造業)が発展を遂げており、健全財政が成った事でも知られる。サッポロビールが「ミュンヘン サッポロ ミルウォーキー」のキャッチコピーを打ったのは、任期末期の1958年であった。 また、この時代はレイク町の大部分やグランヴィル町の殆どを合併した事もあり、市域が倍近くにまで拡大。これに伴い、高速道路網整備の先陣を切る事となる。高速道路網の運営は1954年にミルウォーキー郡へ移管されるが、ザイドラーは市の計画が頓挫した事により、競争力が削がれたと主張。 1960年代から1990年頃にかけて、全米の都市部でインナーシティ化が進行する中でも、人口が微減に留まったのは特筆に値するが、合併に際しては、関係自治体の住民や当局者の抵抗が根強かった。ザイドラーはこうした抵抗に対し、1958年に「関係自治体と協議はするが、我々はこれらに存在理由があるとは思えない」と述べている。 一方1950年代を通じてアフリカ系アメリカ人の人口が3倍に増え、人種関係のトラブルに直面。ザイドラー自身公民権運動に深く関わっていた事から、政敵は彼が黒人に北上を促す看板を、南部に設置したとの悪質なデマを垂れ流す。労働者はザイドラー支持を躊躇い、ある製造業者に至っては、ザイドラーに投票した従業員に解雇をちらつかせたという。1960年に出馬を断念したのも、こうした人種問題も理由として挙げられた。
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