ミニチュア・ウォーゲーミングの経験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/03 20:54 UTC 版)
「デイヴ・アーネソン」の記事における「ミニチュア・ウォーゲーミングの経験」の解説
アーネソンのロールプレイング・ゲームのデザインワークを成長させたのは、1960年代初期に彼の両親がアバロンヒル社の「ゲティスバーグ」ボードゲームを買ってあげたことで、ウォーゲーミングに関心を持ったことからである。後にアーネソンは自分の友人たちに遊び方を教え、このグループは自分たちのゲームをデザインしはじめ、アーネソンが特に好きな海戦ゲームや、ゲームの新しい遊び方も試している。「ロールプレイングの露出」という道具は、彼の後のゲームデザインに影響を与えた。大学の歴史科で彼は歴史的なイベントをロールプレイし、そして好ましい方法で記録された歴史と同様の「仮想の」シナリオをウォーゲームで再制作することに優先的に逸脱した。 1960年代後期、アーネソンは後にゲームデザイナーとなるDavid Weselyが所属する、ミネソタ州ミネアポリスやセントポール周辺のミニチュア・ウォーゲーマーやミリタリー・フィギュア・コレクターが集まるグループであるMidwest Military Simulation Associationに加入した。Weselyは彼が作成し審判した『Braunstein』ゲームの中にいたいと主張し、および他のMMSAのメンバーが参加し、アーネソンは1:1スケールに基づいて非戦闘の目標に焦点を当て、近代ロールプレイングゲームの基礎の開発に携わった;ウォーゲーミングに関してより独立したプレイと展開のある挑戦の数々が、後のRPG作品へのステップになった。 1969年、アーネソンはミネソタ州立大学の歴史学生であるとともに、パートタイムの警備員として働いた。彼は1969年8月の第2回 Gen Conゲームコンベンション(まだウォーゲームが主な焦点だったが)に参加し、このイベントで彼はゲイリー・ガイギャックスと出会った。ガイギャックスは1960年代にウィスコンシン州レイク・ジェニーバでInternational Federation of WargamersとCastle & Crusade Societyを創設する。ミネソタ州のアーネソンの家から近い場所であった。アーネソンとガイギャックスは帆船ゲームへの理解を共有し、彼らは共同で 海戦ゲーム『Don't Give Up The Ship!』を書き上げる。同作は1971年6月以降から連載して出版され、また単体では1972年にGuidon Gamesから、1975年に改訂版がTSR社から出版された。
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