マンデの伝承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/11 03:37 UTC 版)
シャルル・モンテイユ(1871-1949)は、マンデ人が受け継いできた頌歌と叙事詩の調査を1929年に行った。その調査結果によると、アブバカリ2世は、アブバカリ1世(マンデ人としての名前は、バタ・マンデ・ボリ(Bata Mande Bory)であった)とは対照的に異なり、口頭伝承の中における言及を見つけることができなかった。また、後年の検証によっても、大きな結果の相違はなかった。ギニア出身の歴史家、ジブリル・タムシル・ニアヌは、アブバカリ2世在位の証拠を、彼自身の故郷にいる「昔話を伝承する者たち」が受け継ぐ頌歌から集めることができると考え、そのなかからアブバカリ2世であると考えられる人物を割り出した。アメリカの歴史家、アフリカ黒人がコロンブスより前にアメリカに到達していたという理論を代表する論者のイヴァン・ヴァン・セルティマは、1976年に、アブバカリの旅を再構築するために伝承された昔話を用いたとしたが、それは、別の文脈から見ると、まったく具体的な引用がないということを意味した。さらに最近では、マリの小説家、劇作家、詩人のガウス・ジャワラ( Gaoussou Diawara )がアブバカリを取り扱った作品として、手始めに、1992年に演劇を 、1999年には伝記を著した。マリのグリオがこのマンサーのことを完全に無視してきたのは、彼がマリ人の歴史の汚点となったからだということを、ジャワラは語っている。 アブバカリに焦点を当てた頌歌は、近年存在している。しかしながら、それはジャワラが著した伝記に触発されたものである。ただし、その形式は形式的には「グリオ」という伝統に分類される古典的な様式ではある。
※この「マンデの伝承」の解説は、「アブバカリ2世」の解説の一部です。
「マンデの伝承」を含む「アブバカリ2世」の記事については、「アブバカリ2世」の概要を参照ください。
- マンデの伝承のページへのリンク