マレー世界のイスラム化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/10 05:43 UTC 版)
「マラッカ王国」の記事における「マレー世界のイスラム化」の解説
マラッカがイスラム化したのは15世紀に入ってからであるが、中国側の史料とピレスの記録を勘案するとイスラムの定着とイスラム学の研究が本格的になったのはムザッファル・シャー(在位1446年 - 1459年)の時代と考えられる。『スジャラ・ムラユ』にはムザッファル・シャー時代のイスラム化を正当化するため、ムザッファル・シャーの一代前に即位したラジャ・トゥンガという架空の王が、夢の中に現れた預言者ムハンマドの導きによって改宗した神話が挿入されている。 15世紀半ばよりマラッカはパサイのイスラム神学者と交流を持ち、教義の解釈について両国の学者間で討論が行われ、『スジャラ・ムラユ』はムザッファル・シャーの次に即位したマンスールはパサイの神学者マフドゥム・パタカンに哲学書『ドゥッルル・マンズム』のマレー語訳を依頼したことを伝える。マラッカのイスラム化はマレー半島の沿岸部とスマトラ島にイスラム教が広まる契機ともなり、イスラム商人の交易ネットワークの拡大と共にイスラムの宗教家の活動範囲も広がりを見せた。16世紀初頭にはパハン、インドラギリ、カンパールなどのスマトラ、ジャワの沿岸部、ブルネイなど周辺地域の支配者の多くがイスラムに改宗し、フィリピンにもイスラムが広まった。 もっとも、当時のマラッカはイスラムの戒律が厳守されていたとは言い難い状況にあり、末端の小部族にはイスラム信仰が完全に浸透していなかった。ピレスは『東方諸国記』で、ポルトガルに制圧された直後のマラッカの住人が飲酒を大いに好んだことに言及し、15世紀末のアラブの航海者イブン・マージドは、犬肉食と飲酒が日常的に行われている戒律の緩いマラッカを非文化的と辛辣に批判した。『スジャラ・ムラユ』は、この緩やかな信仰をマレー人にとって一般的なものと解し、マレー人がアラブの宗教指導者を口でやりこめる小話がいくらか挿入されている。
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