マルチメディアとの出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/13 13:47 UTC 版)
「愛場大介」の記事における「マルチメディアとの出会い」の解説
大学卒業後、大阪のとある作曲家大先生の元で働き、オーディション告知のビラ撒きバイトたちの采配などをしつつ、映像制作プロダクションを立ち上げるべくスポンサー集めに奔走していたが、頓挫。ほどなくしてその大先生の紹介で、今度は内芝製作所という会社に入社。しかし、90年代半ばの技術は、当時勤務していた会社で使っていた128kbpsのISDN回線が高速だと言われるほどであり、映画会社のウェブサイトでサイズが切手ほどの1分から2分の予告編を見ようとしたらダウンロードの為に昼休みを使い切る程度であった。ビデオデッキにパソコンをつなげば全世界の人に24時間ずっと映像を流し続けることができると信じていた愛場にとってこれはショックであった。その後東京に引っ越してからもウェブサイトの運営は続け、ウェブ上で日記を書くようになった。2001年にADSL回線が広く普及した頃の愛場はインターネットサービスプロバイダーに入社したばかりで、会社のサーバーに動画データを置き、映像をどれくらいスムーズに流せるか、様々な実験を繰り返していた。高校時代に製作した『ジェットダイスケ』をCGでリメイクし、ウェブサイト上で公開した際には、長年描いていた動画配信の構想が現実に近づいたと喜んだ。同じころにはPHS端末を使用して外出先からのライブ映像に挑戦し、クオリティとしてはパラパラ漫画に満たない出来ではあったものの成功に終わった。2001年の元日からは「エレクトロニッキ」という日記動画シリーズの配信を始めた。「2000年に人類は滅亡した」という設定で、CG加工した愛場本人の顔を登場させ、3分ぐらいでその日の出来事を語るという内容であった。この企画はレンタルサーバーのディスク容量の不足から1週間で頓挫。
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