ポスドク時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 03:49 UTC 版)
「バーバラ・マクリントック」の記事における「ポスドク時代」の解説
これらの研究成果により、また、同僚の支持があったことにより、マクリントックは全米研究評議会から2年間分の研究奨学金を与えられた:109。当時、コーネル大学は女性研究者を正教員として雇うつもりが全く無かったので、マクリントックはこの資金を使い、職探しを兼ね、博士研究員としてコーネル大学の他、いくつかの大学を渡り歩いて研究を続ける事になった。ただしコーネル大学は雇用以外の点ではマクリントックに協力的であり、コーネル大学を去った後にもマクリントックに畑を貸し、実験器具も貸し与えている:109。マクリントックは大学間や畑を移動する足として中古のフォード・モデルA(英語版)を買っていた:119。マクリントックは少ない生活費の中から車の維持費を捻出し、新しい洋服を何年も買わなかった。そもそも、生活費より多い収入を欲しいとも思っていなかった:127。 1931年の夏休み期間:22(29歳頃)、マクリントックは遺伝学者のルイス・スタドラー(英語版)に招かれてミズーリ大学で過ごした。スタドラーはトウモロコシの花粉にX線を照射して異常を起こさせること、つまりX線で突然変異を起こさせる技術を持っており、マクリントックは早速、自身の研究に応用した。突然変異を起こした株は染色体にも異常が生じており、その株が減数分裂を起こす際に染色体に転移、逆位、欠損が発生することをマクリントックは観察した:111。 ミズーリ大学にいる間、マクリントックは葉に斑入りのトウモロコシを見つけていたが、その時は気に留めていただけだった。しかし、ミズーリ大学を離れた後にマクリントックは、カリフォルニア大学バークレイ校が発表した:115斑入りタバコに関する論文を読むことで:23、そのトウモロコシが環状染色体(英語版)を持っていることに違いないと確信した。そこでスタドラーにその考えを伝え、斑入りのトウモロコシを育てるよう依頼した。その冬はカリフォルニア工科大学で過し、翌1932年夏、そのトウモロコシの実がなる少し前に再びミズーリ大学を訪れた。そしてその実を観察することで、環状染色体を発見した(ただし、これは世界初の発見ではない):22。
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