ボーンホルム島とトロンデラーグ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 15:00 UTC 版)
「ロスキレ条約 (1658年)」の記事における「ボーンホルム島とトロンデラーグ」の解説
詳細は「コペンハーゲン条約 (1660年)」を参照 一方、ノルウェー軍はスウェーデンの占領軍をトロンデラーグ地方から追い出すことに成功した。その結果、1660年のコペンハーゲン条約ではトロンデラーグがノルウェーに、ボーンホルム島がデンマークに返還された。 コペンハーゲン条約によるトロンデラーグ地方の返還は、スウェーデンの占領に対する現地の激しい抵抗を原因とする。スウェーデンの占領は歓迎されたか、少なくともすぐに抵抗されずに済んだが、スウェーデンはトロンデラーグ地方に徴兵令を敷き、15歳以上の男子2千人をスウェーデン軍に徴集してポーランドとブランデンブルクで戦うよう命じた。カール10世はトロンデラーグの住民がスウェーデンの占領に対し反乱を起こす可能性を考え、成人男子の大半を故郷から引き離すべきと考えた。徴兵された人々のうち、故郷に戻れたのは約3分の1だけだった。また統治を容易にするために一部スウェーデン領エストニア公国に強制移住された者もいた。トロンデラーグ地方の男性はすでに多くがデンマーク=ノルウェーの陸軍と海軍に徴兵されていたため、スウェーデンの強制徴兵はトロンデラーグ地方の男性をほぼ全て徴集した。結果は壊滅的であり、農地で収穫する人手が不足したため飢饉がおこり、トロンデラーグ地方の歴史家の一部はこれをトロンデラーグ人のジェノサイドであると考えた。 数か月間だけながら、スウェーデンの徴税と徴兵は大きな憎しみを生み出し、デンマーク=ノルウェーの団結と愛国心を引き起こした結果となり、向こう80年間スウェーデンによるデンマーク=ノルウェー侵攻への対抗を強める結果となった。
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