ホンダのエースへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 07:09 UTC 版)
「ワイン・ガードナー」の記事における「ホンダのエースへ」の解説
1985年、前年の実績を評価されたガードナーはUKホンダに起用され、3気筒のNS500に乗りセミワークスライダーとして本格参戦。優勝争いには届かないものの、フランスGPでは4気筒のNSR500に乗るフレディ・スペンサーと互角にバトルを展開するなど健闘し、ランキング4位を得る。 この年の鈴鹿8耐では優勝大本命のケニー・ロバーツ、平忠彦組が先行する中、ガードナーは終盤の2時間近くをライダー交代をせず猛追。ロバーツ・平組のリタイアで劇的な初勝利を達成する。連続走行のためチェッカー後はマシンから降りられないほど消耗していたという。以後、ガードナーは鈴鹿8耐においてホンダのエースとして活躍することになる。 1986年はワークスのロスマンズ・ホンダチームに加入し、前年度チャンピオンのスペンサーと共にNSR500で参戦。開幕戦スペインGPでさっそく初勝利を挙げるが、これはトップ独走中のスペンサーが突如右手首の怪我でリタイアしたためであった。結局、スペンサーはこの故障で欠場を重ね、ガードナーは突然「代役エース」に昇格して、孤軍奮闘でワークスホンダの威信を背負って立つことになる。NSR500はフレディー・スペシャルとも呼ばれる扱い難いマシンだったが、これをねじ伏せヤマハのエースエディ・ローソンと激しいチャンピオン争いを展開。計3勝でランキング2位を獲得し、着実に王座への足がかりを固めた。 鈴鹿8耐にはフランス人ライダーのドミニク・サロンとコンビを組んで出場。予選でポールポジションを獲得し、決勝でもホールショットを奪うと一度も首位の座を明け渡すことなく独走で完全優勝を果たし連覇を達成した。
※この「ホンダのエースへ」の解説は、「ワイン・ガードナー」の解説の一部です。
「ホンダのエースへ」を含む「ワイン・ガードナー」の記事については、「ワイン・ガードナー」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書からホンダのエースへを検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書からホンダのエースへ を検索
- ホンダのエースへのページへのリンク