ペンシルロケット打ち上げとは? わかりやすく解説

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ペンシルロケット打ち上げ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 00:48 UTC 版)

秋田ロケット実験場」の記事における「ペンシルロケット打ち上げ」の解説

東大生研工学博士糸川英夫中心とするAVSA研究班によって研究始まったペンシルロケット』は、1955年昭和30年4月12日東京都国分寺廃工場跡地発射公開実験成功その後千葉の生研実験場に場所を移して発射実験継続した発射経験積んだ後、いよいよ上空向けて発射実験飛翔実験が行われることとなった日本には外国のように広い砂漠がないため、飛翔実験を行うにしても海岸から打ち上げて海に落下させるほかないが、当時海岸米軍管理下にあり、発射場として利用可能な場所は日本海側限られた場所しかなかった。また、船舶航空機航路避けること、漁業への影響少ないことも求められた。当初発射場候補地としては佐渡島男鹿半島挙げられていたが、前者機材海上輸送難がある考えられたこと、後者手狭であったことから選から漏れた現地調査過程で、秋田県岩城町勝手川河口南側道川海岸着目され、海岸十分に広いこと、実験班の宿泊の便が良いことなどから、日本最初ロケット発射場秋田ロケット実験場」が開設される至った上空への打ち上げにあたっては、軌道光学追跡するために四塩化チタン発煙剤搭載このため全長が300mmに延長された「ペンシル300」が用いられた。 秋田ロケット実験場での最初飛翔実験は、1955年昭和30年8月6日実施された。14時18分に行われた最初の発射実験は、カウントダウンゼロの瞬間ロケット発射台から転げ落ちそのまま点火されロケット砂浜上を這いずり回るという、今となっては笑い話のような失敗であった急遽ロケット固定方法改良し15時32分、同日2回目の発射実験成功した到達高度600m、水平距離700m、飛翔時間16.8秒であった。

※この「ペンシルロケット打ち上げ」の解説は、「秋田ロケット実験場」の解説の一部です。
「ペンシルロケット打ち上げ」を含む「秋田ロケット実験場」の記事については、「秋田ロケット実験場」の概要を参照ください。

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