ペレストロイカ以前
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「アレクサンドル・ニコラエヴィチ・ヤコヴレフ」の記事における「ペレストロイカ以前」の解説
ヤロスラヴリ州に生まれ、砲兵および小隊長として独ソ戦(第二次世界大戦)の最前線で参戦したが、1942年8月に銃撃を受けて重傷を負い、翌年2月に傷痍兵として除隊された。 戦後の1946年、ヤロスラヴリ教育大学を卒業した。1958年には、米ソ間の交換留学生としてアメリカ・コロンビア大学で1年間学んだ。帰国後はソ連共産党中央委員会に勤務し、1969年にはアメリカ研究の功績によりプロフェソールの称号を受けた。しかし、宣伝部第一副部長時代だった1973年、ロシア・ナショナリズムを批判したことが災いして、左遷された。当時のレオニード・ブレジネフ書記長によって駐カナダ大使に任命された。 カナダではピエール・トルドー首相と親密になり、家族ぐるみでの交際を行った。トルドーは自分の次男にアレクサンドルの名前を付けるほどだった。また、ソ連共産党の農業政策担当書記として当地の農場制度を視察するためにカナダを訪問したゴルバチョフと出会い、意気投合する。1982年にユーリ・アンドロポフ書記長が就任して改革の気運が高まると、1983年にモスクワへ呼び戻され、ソ連最高のシンクタンクとして名高いソ連科学アカデミー付属世界経済国際関係研究所(IMEMO)所長に起用された。
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