ベラクルスへの襲撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/11 05:57 UTC 版)
「ベラクルスの戦い (1838年)」の記事における「ベラクルスへの襲撃」の解説
サン・フアン・ウルアの陥落は、メキシコ政府を驚愕させ、メキシコ政府はフランスに宣戦を布告し、国内のフランス人の追放した。リンコン将軍を解任し、サンタ・アンナとアリスタを将軍として3,200人の陸軍をベラクルスに派遣した。メキシコ軍はフランス軍を追い払うためにベラクルスに急行した。ボダンは交渉再開を期待していたが、戦闘が再開された。 ボダンはこれにベラクルス襲撃で応戦することを決定した。さらに増派された軍で、ベラクルスは要塞化によって守られていたが、小さな都市であり、その配置はフランス軍も知り尽くしていた。ボダンは「要塞を武装解除させ、サンタ・アンナを誘拐する」という驚愕の作戦を決断した。希薄な兵力をより便利なものに強化するために、船のクルーのうち水兵によって砲兵と工兵が強化された。 12月5日の朝5時、1,500人がベラクルス前の浜に上陸し、彼らは3横列に散開し、両翼はサンチャゴ要塞とコンセプション要塞近くの防壁をよじ登った。メキシコ軍は驚愕した。発砲も砲撃もない点に。ふたつの集団は大砲を破壊ながら都市の反対側にいたるために塀に沿って走り出した。 中央横列は、ジョアンヴィル公の指揮の元、門の破壊によって港とのアクセスを可能にし、市街を荒らし、メキシコ軍の将軍がいる建物を攻撃する任務を追っていた。計画された通り、門が破壊され、メキシコ軍の司令本部に至り、これを難なく占拠した。しかしメキシコ兵は応戦をはじめた。サンタ・アンナは逃亡を図り、アリスタは捕縛された。フランス軍は、途中、修道院を兵舎として使用し、駐留していたメキシコ軍と戦い、捕虜と一緒に引き上げた。 ボダンは上陸し、任務の完了と新たな攻撃を命じた。両翼は難なく引き上げたが、中央が再攻撃を完了したときサンタ・アンナ率いる反撃がはじまった。それからフランス軍は奪った大砲とボートの右舷のカロネード砲で砲撃をはじめメキシコ兵を殺傷してきた散弾の発砲をすると、サンタ・アンナは愛馬を殺され、自身の左足を負傷した。 一連の戦闘でフランス軍は8人が犠牲に56人が負傷した。ほとんどがメキシコ軍の反撃のさいの混乱での同士打ちである。サンタ・アンナによればメキシコ軍の犠牲は31人、負傷者は26人である。ボダンのボートには5つの弾痕があった。
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