プライスの襲撃の始まり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/31 05:13 UTC 版)
「ダビドソン砦の戦い」の記事における「プライスの襲撃の始まり」の解説
詳細は「プライスの襲撃」を参照 1864年9月、プライスはアーカンソー州カムデンを出発し、北に行軍してミズーリ州に入った。その当初の目標はミズーリ州最大の都市であるセントルイスだった。シャーマンが既にアトランタを占領しており、それはリンカーンの再選に向けて大いに盛り上がるものとなったが、プライスがセントルイス市とその武器庫にある大量の武器と共に落とせば、共和党を大慌てさせることになるはずだった。プライスのミズーリ軍が、北のセントルイスから出ているアイアンマウンテン鉄道の終着駅に近いアイアントン市に向けて動くと、守備隊1,500名と大砲7門のあるダビドソン砦に出くわし、それは魅力ある目標に見えた。プライスはその指揮下に総勢12,000名の騎馬歩兵を率いており、その内3,000名は武器を持っていなかった。砦と守備隊を捕まえれば確かに南軍の士気を上げるものになるはずだった。 プライスが砦の占領準備を進めていると、北軍がプライス軍を遮るために南下しているという報せが届いた。直ぐに北に向かう鉄道を破壊するよう分遣隊に命じて派遣し、本隊である3個旅団をアーカディア・バレーに緩り進め、9月26日夜に3個師団で砦を包囲した。 北軍のセントルイス地区軍副司令であり、ウィリアム・シャーマンとは義兄弟でもあるトマス・ユーイング准将が200名のアイオワ歩兵部隊と共にダビドソン砦に到着し、そこの小さな北軍守備隊を補った。背後にあるアイアントン・セントルイス鉄道が南軍騎兵隊によって遮断されたという報せを受けたとき、セントルイスまでプライスが選ぶ可能性があるルートを偵察させていた。勢力では1対10と劣勢だったが、砦を保持して戦うことに決めた。この砦は強力な防御的位置を占めており、6角形の壁が高さが9フィート (2.7 m)、アルさが10フィート (3 m) あり、深さが9フィート (2.7 m) ある空堀に囲まれていた。壁からは2本の長い射撃壕が出ており、補強された板のフェンスが土盛りの上を覆っていた。中に入るためには南東隅にある跳ね橋しかなかった。壁から全方向の外側に300ヤード (270 m) は射界が払われており、敵が接近するのは極めて困難だった。
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