ブルックトン炭鉱の狭軌鉄道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/17 20:41 UTC 版)
「ブルネイの鉄道」の記事における「ブルックトン炭鉱の狭軌鉄道」の解説
スラサ (Serasa) 郡(ムキム)(英語版)にあったブルックトン炭鉱は、711 mm (2 ft 4 in) という珍しいゲージにより、炭鉱からムアラに近い水深の深い港まで、全長 2.5 km にわたる狭軌鉄道を運用していた。そこでは、アンドリュー・バークレイ・サンズ・アンド・カンパニー(英語版)製の車輪配置 0-4-0型の蒸気機関車2台が運行されていた。 このうち1891年製の通し番号696番は、内枠があり、車輪の直径は 559 mm (1 ft 10 in)、外部のシリンダーは178 × 356 mm (7 × 14 in) で、車両の高さはわずか 1753 mm (5 ft 9 in) しかなかったが、これは1829 mm (6 ft) しか高さがなかった坑道に合わせたものであった。この機関車には「マルゲリーテ・ライン (Marguerite Reine) と名付けられたが、これはサー・チャールズ・ブルックの妻であったフランス人マーガレット・ド・ヴィント (Margaret de Windt) にちなんだものであった。同型のバークレイ社製の蒸気機関車で、1987年製の通し番号815.は、「ブルックトン (Brooketon)」と名付けられた。後者は、1898年1月にグラスゴーから輸出された。 軌道は大部分が地面より高く持ち上げられていたが、一部には坑道トンネルの部分もあり、今では植物が生い茂っている状態で、ブルネイ・ダルサラーム国の「古物財宝法 (Antiquities and Treasure Trove Act) によって保護されている。ブルネイ政府の博物館局は、屋外博物館として整備し、エコツーリズムを振興したいと表明している。 1888年から1924年にかけて、およそ65万トンの石炭が、運び出されたが、背景には、インドと中国を結ぶ航路の途中の中継地として立ち寄っていた汽船からの大きな需要があった。炭鉱とそれに付属しsた鉄道は、1924年には運用が廃止された。第二次世界大戦中には、日本人が採掘を再開し、地元の需要に応じて供給した。
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