ブルックナーの巨匠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 03:08 UTC 版)
1973年(昭和48年)、大阪フィルが東京公演を行った。この公演で取り上げた曲目の中には、ブルックナーの交響曲第5番も含まれていた。1954年(昭和29年)以来しばしばブルックナーを取り上げていた朝比奈であったが、それまでは納得のできる演奏ができなかった。しかし、この東京公演で取り上げた第5番は、朝比奈も上出来と思うほど出来栄えが素晴らしく、聴衆も大喝采を浴びせた。 その聴衆の中に、渋谷で前衛的なライヴハウス「渋谷ジァン・ジァン」を経営している高嶋進がいた。彼は寺山修司などの前衛演劇に傾倒する一方で、大のブルックナーファンであった。この公演に感動した高嶋は、朝比奈&大阪フィルを起用してブルックナーの交響曲全集を作ろうと思い立ち、1978年(昭和53年)にディスク・ジァン・ジァンから全集LPを発売した。この全集は大評判となり、朝比奈は一躍「巨匠」「日本のブルックナー解釈の第一人者」として注目を集めるようになった。 ブルックナーの交響曲で問題になる楽譜の「版」であるが、朝比奈は基本的にハース版を使用している。1975年(昭和50年)の大阪フィルの欧州公演中、10月12日リンツの聖フローリアン教会で交響曲第7番を指揮した際、会場にノヴァーク版の校訂者レオポルト・ノヴァークが来ており、終演後朝比奈を訪れた。ノヴァークは演奏を称賛し、ノヴァーク版で演奏しなかったことを詫びた朝比奈に、名演の前に版は大した問題ではない旨答えたという。
※この「ブルックナーの巨匠」の解説は、「朝比奈隆」の解説の一部です。
「ブルックナーの巨匠」を含む「朝比奈隆」の記事については、「朝比奈隆」の概要を参照ください。
- ブルックナーの巨匠のページへのリンク