ブラジル公演
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同2000年末の忘年会で斎藤が、ブラジルの日系人たちにショーをプレゼントしたいと発言したことがきっかけで、翌2001年(平成13年)、ブラジル公演が決行された。普段は日本各地に散らばるロック座の踊り子たちと、自分が元気なうちに旅をしておきたい、日本国外のステージで彼女らに自信をつけさせたいとも想いでもあった。総勢18人の踊り子、着物、かつら、小道具の総重量約1トンという大ツアーとなった。総費用は約1千万円に昇り、すべて斎藤の持ち出しであった。 サンパウロではチケットは2週間で売り切れ、1200席の会場に1600人が詰めかけた。ベレンではバスで8時間かけてやってきた団体や、400キロメートルの距離を車を飛ばしてきた人たちもいた。老人ホームへの慰問も行い、100歳の移民1世の老婆が喜んだ。ポルト・アレグレではブラジル人を舞台に上げ、着物を着せ、かつらをつけて芸者とし、会場から大喝采を浴びた。 「嫁に行け行けと言われて。来てよかった」という50歳代の日系男性、「涙がポロポロ出ました。とてもすてきな舞台でした」という40歳代の日系女性、「小さいころから興味のあった日本文化に触れることができました。ありがとうございました」という40歳代のブラジル人女性もいた。
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ブラジル公演
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「ライオン・キング (ミュージカル)」の記事における「ブラジル公演」の解説
2013年3月28日、ブラジルのサンパウロで上演。サンパウロ、リオデジャネイロ、サルヴァドールでオーディションが行なわれた。7名の南アフリカの俳優の他、ほとんどがブラジルの俳優であった。歌詞はブラジル人歌手ジルベルト・ジルによりポルトガル語に翻訳された。
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