フランスでの初演
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「月に憑かれたピエロ」の記事における「フランスでの初演」の解説
フランスではラヴェルが、『月に憑かれたピエロ』『日本の抒情詩』『マラルメの3つの歌』の3作品を並べた「スキャンダラスなコンサート」の企画を1913年に着想した。このコンサートは、1914年1月14日の独立音楽協会の演奏会として実を結ぶが、要の「ピエロ」は演目から外れ、フランス初演は第一次世界大戦後に持ち越しとなった。 フランスにおいては、作曲家ダリウス・ミヨーの指揮により、第1部のみの部分初演が1921年12月15日にパリ農協ホールで、全曲初演が1922年1月22日と3月10日にサル・ガヴォー(フランス語版)にて行われ、フランスでのシェーンベルク受容に大きな役割を果たした。このときミヨーと、語り手を務めたポーランド生まれのソプラノ歌手マリア・フロイント(フランス語版)は、ドイツ語ではなくフランス語によって公演しようと考え、当初はジローによる原詩を用いようとしたが上手く行かず、フロイントがドイツ語からフランス語にテクストの再翻訳を行うことになった 。 フランスでの初演を成功させたミヨーとフロイントが1922年にウィーンに赴いた際、作曲家グスタフ・マーラー未亡人であるアルマ・マーラーの提案により、オリジナルのドイツ語版(シェーンベルクの指揮、エリカ・シュティードリー=ヴァーグナーの語り)とフランス語版(ミヨーの指揮、フロイントの語り)の、2種類の『月に憑かれたピエロ』を聴き比べるという私的な催しが、アルマ・マーラー邸において行われた。このときの演奏について、ミヨーは「シェーンベルクの指揮では劇的な要素がより荒々しく、強く狂おしく出たのに対して、私の指揮では感覚的な、柔らかい、微妙な、透明な要素が強調されました」と回想している。
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