フォークの伝道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 02:00 UTC 版)
日本のフォークソング(1960年代から1970年代)に関する知識は随一であり、フォークソングの特集番組の司会を務めるなど、当時から活動しているフォークミュージシャンと共演し、若い層にフォークソングを広めることに一役買っている。たびたび歌っていた本人よりも曲を知っていることがある。 伝道を続ける理由については、「先輩方のいい曲ばっかり聴いてきたから、これ以上のものはできないなっていう気持ちが強くて、例えば拓郎さんの『イメージの詩』みたいなのと思っても、あれを超える曲なんかぜったい出来ないなって思っちゃう。だから、オリジナルを作るより、先輩方の曲を再現して、みんなに聴かせたい。こんなにいい曲があるんだって」と述べている。 テレビやラジオの他、ファンクラブ向け映像等でのトークコーナーでも坂崎だけギターを抱えて出演することが多く、話題に登った曲をその場ですぐ弾くため、共演者等には「ギター界の横森良造」他、山本潤子には「人間ジュークボックス」等と例えられている。南こうせつや吉田拓郎等のフォーク歌手はもちろん、アグネス・チャンや左卜全、田中角栄等もすぐに物真似し、吉田には「誰が今物真似しろって言った!」とツッコまれている。1981年には「BEAT BOYS」名義で吉田のヒット曲をものまねメドレーをリリースした。 1980年代に、先輩に当たる元ガロの堀内護と日高富明が都内のライブハウスで活動を共にした際に、日高が欠席した時、坂崎が代役を務めたことがあった。 2002年には、ザ・フォーク・クルセダーズ新結成時のメンバーにもなり、オリジナルメンバーの加藤和彦らから「僕らよりもフォークルをよく知っている」と驚かれた。ちなみに、初めてラジオにリクエストハガキを読んでもらったのがフォークルの「花のかおりに」であり、2002年のフォークルの新結成時の1回きりのコンサートのソロコーナーで、カップリングの「何のために」とともに披露している。 同年に『朝まで生つるべ』にゲスト出演したのがきっかけで、不定期で『朝まで歌つるべ』が放送されることになり、この2つの番組でレギュラー出演している。2003年夏からは「坂崎幸之助のお台場フォーク村」が始まり、ベテラン・若手を含めて多数のミュージシャンとのステージを行っている。 小室等からは「フォーク界の介護士」と呼ばれる。なぎら健壱との「東京フォークジャンボリーズ」や谷村新司との「アリーズ」、南こうせつとの「クローンズ」、南こうせつと木根尚登と組んだ「南こうせつとがくや姫」、TOSHI (X-JAPAN)、前田"カキテル"亘輝と組んだ「No-TAX」など、セッションによってできた非公式なグループは数知れない(NHKのフォーク大集合では坂崎二郎名義で「座・ジローズ」に飛び入り参加している)。[要出典]
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