フィッチ・スプリント
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 09:32 UTC 版)
「シボレー・コルヴェア」の記事における「フィッチ・スプリント」の解説
ヴェテランのレーサーであるジョン・フィッチ(John Fitch)は、その操縦性からレース場専用車両のベースとしてコルヴェアに特に興味を持った。基本的なスプリント・レース仕様ではエンジンが僅かに改良され出力155 hp (116 kW) になっただけであったが、改良型のショックアブソーバーとスプリング、ホイール・アライメントの調整、クイックなステアリングギア、軽合金製ホイール、焼結ブレーキパッド、標準で木製リムのハンドル(9.95 USドルの追い金で革巻き)とその他の細々した改造を施した車が、遥かに高価なヨーロッパ製スポーツカーに肉迫した競争力を見せた。スポイラーのようなボディ関連のオプション品も取り付けられたが、外観上で最も目立つオプションはC-ピラーと屋根の後半分にグラスファイバー製の覆いを付け、車を「走る中空屋根」("flying buttress")に見せる「ヴェントップ」("Ventop")であった。 フィッチは、外観としてはコルベットを基にした「メイコ・シャーク」(Mako Shark)の小型版を思い起こさせるコルヴェアを基にした2座スポーツカーの「フィッチ・フェニックス」(Fitch Phoenix)の設計と試作を続けた。鋼製ボディであるにもかかわらず総重量1,950 lbp (885 kg) に175 hp (130 kW) のウェーバー[要曖昧さ回避]製キャブレターを装着して改造したコルヴェアのエンジンを搭載したこの車は8,760 USドルで強烈な性能を発揮した。不幸なことに1966年の交通安全法(Traffic Safety Act of 1966)は小規模での自動車生産に制限を課し、これに続きシボレーはコルヴェアの生産中止を決定したことでフィッチの計画は完全に終止符が打たれた。しかし、フィッチは試作車を手元に残しており、時折カーショーでこれを披露している。この車の姿をドキュメンタリー映画『黄昏の中のガルウイング:ジョン・フィッチのボンネヴィル走破』(Gullwing at Twilight: The Bonneville Ride of John Fitch)の中で垣間見ることが出来るかもしれない。 コルヴェアが初めて姿を現してから多種の高性能装備や改造キットが販売された。
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