ピッツバーグ・ランディングの防御
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 16:12 UTC 版)
「シャイローの戦い」の記事における「ピッツバーグ・ランディングの防御」の解説
北軍側面は押されっぱなしだったが、まだ決着が着くところまでは行っていなかった。南軍ハーディとポークの部隊が北軍右翼のシャーマンとマクナーランドの部隊をピッツバーグ・ランディングの方向に後退させ、ホーネッツネストの右翼は開いたままになった。ジョンストンの死の直後に、南軍予備隊だったブレッキンリッジの軍団が北軍前線の最左翼を攻撃し、戦力に劣るデイビッド・スチュアートの旅団を後退させ、北軍後部とテネシー川への道が開けることになった。しかし、ブレッキンリッジ隊は再結集と、疲れや混乱からの回復のために停止し、続いてホーネッツネストに向けた砲声の方向に進むことを選んだので機会が失われた。ホーネッツネストが落ちた後、北軍の残っている部隊は、ピッツバーグ・ランディングの周りにテネシー川から西にさらに北の川道に伸びる3マイル (5 km)の固い前線を確立し、遅れているルー・ウォーレス師団の到着を期待して接近路を明けたままにしていた。シャーマンが前線の右翼を指揮し、マクラーナンドが中央、左翼はW・H・L・ウォレス、ハールバットおよびスチュアートの残兵がピッツバーグ・ランディングの上の崖に混み合っていた何千ものはぐれ兵と混合して守った。ビューエル軍の1個旅団、ブル・ネルソン師団のジェイコブ・アメン准将の旅団が舟で到着して間に合い前線の左端に加わった。防御線には50門以上の大砲の環があった。また川には砲艦(USSレキシントンとUSSタイラー)の大砲があった。南軍ウィザーズ准将に率いられた2個旅団による最後の攻撃は、戦線の突破を試みたが撃退された。ボーリガードは日没の午後6時以後に2回目の試みを中止させた。南軍の作戦は潰えた。南軍はグラント軍を川沿いの防御的陣地に押し込んだが、計画した西の沼地へではなかった。
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