ビスマルクとの関わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/28 03:32 UTC 版)
「U74 (潜水艦)」の記事における「ビスマルクとの関わり」の解説
1941年5月24日、ドイツの戦艦ビスマルクと重巡洋艦プリンツ・オイゲンはイギリスの巡洋戦艦フッドを沈め、随伴する戦艦プリンス・オブ・ウェールズに損害を与えた。その結果、ビスマルクを狙うイギリス軍との間で、100隻近くの船が関与する戦闘が起こった。 それらの艦隊は非常に魅力的な標的であり、ケントラットはこの海域のイギリス軍を攻撃するように命じられた。同日の夕刻、U-74は潜水中の索敵にて別のUボートを発見し浮上した。100メートル離れたところに、ヘルベルト・ヴォールファールトが指揮するU-556が現れた。ヴォールファールトはビスマルクの戦闘記録を回収する命を受けていたが、U-556は魚雷の残弾がなく、燃料も残り僅かであった。そのため、ヴォールファールトは戦闘記録回収の任をケントラットへ託した。ケントラットはその命を受け入れ、ビスマルクが最後に確認された位置へ向かった。 5月27日の夜明けまでに、ビスマルクは航行に支障を来たす損傷を負っており、戦艦キング・ジョージ5世及びロドニー、重巡洋艦ノーフォーク及びドーセットシャーからの更なる攻撃を受けていた。ビスマルクの乗員にとっては、ビスマルクの撃沈は明らかであった。 10時36分にU-74は船体が沈む音を探知したが、ケントラットはそれがビスマルクなのかイギリス船なのか判断できなかった。彼は潜望鏡深度にて、U-74の真正面に戦艦と巡洋艦を視認した。U-74は攻撃位置に移動しようとしたが、荒天により海が大きく荒れおり魚雷を発射出来ず、残骸と黄色い救命胴衣が見えるのみであった。 イギリス艦が去った後、U-74は破片と死体の中海面に浮上した。彼らがその朝聞いた音はビスマルクの沈没音であった。彼らは乗員を救助すべく捜索したが、その夜にゲオルク・ヘルツォーク、オットー・ヘンチュ、ヘルベルト・マンタイの3人が乗ったいかだに遭遇するまで生存者は発見できなかった。U-74は翌日も捜索を続けたが、生存者は発見できず、ロリアンに戻るように命じられた。
※この「ビスマルクとの関わり」の解説は、「U74 (潜水艦)」の解説の一部です。
「ビスマルクとの関わり」を含む「U74 (潜水艦)」の記事については、「U74 (潜水艦)」の概要を参照ください。
- ビスマルクとの関わりのページへのリンク