ビスマルクとの会見と娘婿の死とは? わかりやすく解説

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ビスマルクとの会見と娘婿の死

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 04:41 UTC 版)

ヴィクトリア (イギリス女王)」の記事における「ビスマルクとの会見と娘婿の死」の解説

1888年3月ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世崩御し娘婿フリッツフリードリヒ3世としてドイツ皇帝即位した。しかし彼は喉頭癌患っており、先は長くなかった4月ヴィクトリアフリードリヒ3世お見舞い兼ねてイタリアオーストリアドイツ歴訪外遊出たドイツ到着する宰相オットー・フォン・ビスマルク引見した。ヴィクトリアビスマルクが噂に聞くより紳士的であったことに驚いたという。ビスマルクオーストリアロシア攻撃されたらドイツオーストリア助けねばならないロシアフランスと組むであろうから、そうなるイギリス重要になってくると述べた。これに対してヴィクトリアフランス政権不安定なので早々戦争には乗り出さないだろうと無難に返事をした。またヴィクトリアヴィッキーフリッツ支えてほしいと依頼したビスマルク自由主義者のこの二人を全く信用していなかったが、その場口先ではもちろんですと返答したフリッツヴィッキー長男である皇太子ヴィルヘルム(愛称ウィリー)についても話が及び、ヴィクトリアは「ウィリー未熟であり、イングランド以外にも外遊させて見聞広げさせるべきではないか」と述べたが、ビスマルクは「殿下はまだ文政ご存じないですが、もともと頭の良い方なので水の中放っておいて差し上げればすぐにも泳げるようになりましょう」と回答した。 ついでフリードリヒ3世面会したが、彼はすでに死にかけの状態でしゃべることはできなかった。ヴィクトリア彼に接吻し回復したら是非イングランドへ訪問をと要請した。また駅まで出迎え出たヴィッキー慰めたヴィクトリア日記に「ゆっくりと駅を離れる汽車窓越しに顔をくしゃくしゃにしたヴィッキーを見ながら、私はあの子待ち受ける恐ろしい運命思ってぞっとした哀れな我が子よ。貴女苦難を少しでも軽くするためなら私はどんなことを厭いません。」と書いている。

※この「ビスマルクとの会見と娘婿の死」の解説は、「ヴィクトリア (イギリス女王)」の解説の一部です。
「ビスマルクとの会見と娘婿の死」を含む「ヴィクトリア (イギリス女王)」の記事については、「ヴィクトリア (イギリス女王)」の概要を参照ください。

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