ビクトル・マルキンとは? わかりやすく解説

ビクトル・マルキン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/04 07:55 UTC 版)

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獲得メダル
ソビエト連邦
陸上競技
オリンピック
1980 モスクワ 400m
1980 モスクワ 4×400mR
世界陸上競技選手権大会
1983 ヘルシンキ 4×400mR
ヨーロッパ陸上競技選手権大会
1983 アテネ 400m
1983 アテネ 4×400mR

ヴィクトル・フョードロヴィチ・マルキンロシア語: Виктор Фёдорович Маркин, ラテン文字転写: Viktor Fyodorovich Markin1957年2月23日 - )は、ソビエト連邦ノボシビルスク州出身の陸上競技選手。1980年モスクワオリンピックの金メダリストである。

経歴

マルキンは高校卒業後、19歳のときにノボシビルスクの製薬工場に就職する。ここから彼の陸上競技のキャリアがはじまった。彼はモスクワオリンピックまで全く無名の選手であった。

マルキンは、モスクワオリンピックが開催される1980年の4月に46.96秒の自己ベストを記録。7月には、45秒34まで記録を向上させ、オリンピック出場を果たす。そして、400mに出場したオリンピックでは、200mを通過したところで5位をキープ。第4コーナーを回って最後の直線に入ったところで、トップを走っていた東ドイツフランク・シャファーから3m後方の位置をキープ。ここからマルキンは力強くシャファーを追い抜きトップに立つと、44.60秒のヨーロッパ新記録のタイムで金メダルを獲得。この記録はいまだにロシア記録として残っている。マルキンは4×400mRにも出場。アンカーを務め、東ドイツのアンカーのフォルカー・ベックと激しい競り合いの末、2つめの金メダルを獲得した。

モスクワオリンピックの後、薬学の勉強のためしばらく競技を中断していたが、1982年のヨーロッパ選手権で国際大会に再登場。この大会で、400mと4×400mRの2種目で銅メダルを獲得。翌年の第1回世界選手権にも出場し、4×400mRで金メダルを獲得。しかし、翌年の1984年ロサンゼルスオリンピックに、ソ連が出場ボイコットを決めたため、マルキンは引退を決意した。

主な実績

大会 場所 種目 結果 記録
1980 オリンピック モスクワ(ソビエト連邦) 400m 1位 44秒60
1980 オリンピック モスクワ(ソビエト連邦) 4×400mR 1位 3分01秒1
1982 ヨーロッパ陸上競技選手権大会 アテネ(ギリシャ) 400m 3位 45秒30
1982 ヨーロッパ陸上競技選手権大会 アテネ(ギリシャ) 4×400mR 3位 3分00秒80
1983 ユニバーシアード エドモントン(カナダ) 400m 2位 45秒38
1983 世界陸上競技選手権大会 ヘルシンキ(フィンランド) 4×400mR 1位 3分00秒79

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