アーサー・ウィントとは? わかりやすく解説

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アーサー・ウィント

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/04 00:52 UTC 版)

アーサー・ウィント
選手情報
フルネーム Arthur Stanley Wint
国籍 ジャマイカ
種目 短距離走中距離走
生年月日 (1920-03-25) 1920年3月25日
没年月日 (1992-10-19) 1992年10月19日(72歳没)
獲得メダル
陸上競技
オリンピック
1948 400m
1948 800m
1952 800m
1952 4×400m リレー
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アーサー・ウィント (Arthur Stanley Wint、1920年3月25日 - 1992年10月19日)は、ジャマイカの陸上競技選手。1948年ロンドンオリンピック男子400mの金メダリストである。

経歴

ウィントは1938年中央アメリカ・カリブ海選手権の800mで優勝する。1942年にウィントは英国空軍に入隊、カナダでトレーニングを続け、400mのカナダ記録を樹立。第二次世界大戦では現役のパイロットとしてイギリスで従軍。1947年に空軍を除隊し、ロンドンセント・バーソロミュー病院で医師となるための勉強をはじめる。

ウィントは1948年ロンドンオリンピックの400mに出場し、46秒2の世界新記録で同僚のハーブ・マッキンリー(Herb McKenley)らを下し、ジャマイカ史上初の金メダルを獲得した。800mでは、アメリカマルビン・ホイットフィールド(Mal Whitfield)に敗れたものの銀メダルを獲得。4×400mリレーにも出場。ウィント、マッキンリーらを要していたジャマイカの金メダルが期待されたが、ウィントは足を痛め途中棄権という結果に終わった。

1952年ヘルシンキオリンピックでは4×400mリレーに出場。3分03秒9の世界新記録で金メダルを獲得。さらに、ウィントは800mでもホイットフィールドに次いで銀メダルを獲得した。

ウィントは1953年に医師としての研修が終了するとともに競技から引退。1954年には大英帝国勲章を受章。1955年にはジャマイカに帰国しジャマイカ西部のハノーバー教区で医師として従事した。

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