チャールズ・アサティとは? わかりやすく解説

チャールズ・アサティ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/07 06:37 UTC 版)

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獲得メダル
 ケニア
男子 陸上競技
オリンピック
1968 メキシコ 4×400mリレー
1972 ミュンヘン 4×400mリレー

チャールズ・アサティ (Charles Asati、1946年3月3日- )は、ケニア陸上競技選手。1972年ミュンヘンオリンピックの金メダリストである。

経歴

アサティは、1968年メキシコシティーオリンピックの短距離3種目に出場。100mは10.63秒で予選落ち、200mは、20.66秒で2次予選落ちという結果に終わった。しかし、アサティとヘゼキアー・ニャマウ、ナフタリ・ボン、ダニエル・ルディシャとともに出場した4×400mリレーでは、アメリカに次いで2位となり銀メダルを獲得。周囲を驚かせた。2年後の1970年には、スコットランドエジンバラで行われたコモンウェルスゲームズに出場。200mは20.74秒で3位であったが、400mで45.01秒で優勝、さらに4×400mリレーも3分3秒63で優勝を飾った。

アサティは、1972年ミュンヘンオリンピックには、400mと4×400mリレーに出場した。400mでは、金銀のアメリカの選手、3位の、同じケニアのジュリアス・サングに次いで4位となり惜しくもメダルには届かなかった。

ところが、この後400mの表彰式で、アメリカの2選手が不遜な態度を取ったということで、アメリカは金銀の選手と同じレースに出ていたが途中リタイア選手の3人が4×400mリレーに出場できなくなり、リレーへの出場を断念した。そのため、ケニアにとって4×400mリレーでメダルを獲得する大きなチャンスがおとずれた。4×400mリレーの決勝では、2分59秒83と、出場した国の中で唯一3分を切るタイムで、ケニアにとって、前回の結果を越える金メダル獲得となった。

アサティは、2年後のコモンウェルスゲームズにも出場し、400mと4×400mリレーの2冠を達成した。

主な実績

大会 場所 種目 結果 記録
1968 オリンピック メキシコシティ(メキシコ) 4×400mリレー 2位 2分59秒6
1970 コモンウェルスゲームズ エジンバラ(スコットランド) 200m 3位 20秒74
1970 コモンウェルスゲームズ エジンバラ(スコットランド) 400m 1位 45秒01
1970 コモンウェルスゲームズ エジンバラ(スコットランド) 4×400mリレー 1位 3分03秒63
1972 オリンピック ミュンヘン(西ドイツ) 400m 4位 45秒13
1972 オリンピック ミュンヘン(西ドイツ) 4×400mリレー 1位 2分59秒8
1973 オールアフリカゲームズ ラゴス(ナイジェリア) 400m 1位 46秒31
1974 コモンウェルスゲームズ クライストチャーチ(ニュージーランド) 400m 1位 46秒04
1974 コモンウェルスゲームズ クライストチャーチ(ニュージーランド) 4×400mリレー 1位 3分04秒43

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