ナタリア・シコレンコとは? わかりやすく解説

ナタリア・シコレンコ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/17 16:00 UTC 版)

ナタリア・シコレンコ
選手情報
フルネーム ナタリア・シコレンコ
国籍  ベラルーシ
種目 やり投
生年月日 (1964-08-01) 1964年8月1日
生誕地 ソビエト連邦 ウズベク・ソビエト社会主義共和国アンディジャン
没年月日 (2025-05-15) 2025年5月15日(60歳没)
身長 179cm
体重 82kg
獲得メダル
EUN
陸上競技
オリンピック
1992 バルセロナ 女子 やり投
世界陸上競技選手権大会
 ベラルーシ
1993 シュトゥットガルト 女子 やり投
1995 イェーテボリ 女子 やり投
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ナタリア・シコレンコ (Natalya Shikolenko、ロシア語: Наталья Шиколенко1964年8月1日 - 2025年5月15日)は、ベラルーシの陸上競技選手。独立国家共同体代表として出場した1992年バルセロナオリンピックのやり投で銀メダルを獲得した。ウズベク共和国アンディジャン出身。

経歴

シコレンコは、ソ連代表として、1987年の世界選手権に出場しているが、予選で敗退。1990年にはアメリカシアトルで行われたグッドウィルゲームズで優勝している。この大会の2位には、妹のタチアナ・シコレンコが入っている。1991年の東京で行われた世界選手権では、11位と結果は振るわなかった。

ソビエト連邦が崩壊して最初のオリンピックとなった1992年バルセロナオリンピックでは、1投目に68m26を投げリードを保つが、ドイツのシルケ・レンクが5投目に68m34を投げ逆転。シコレンコは最終投てきでも逆転できずわずか8cmの差で銀メダルとなった。

1993年からベラルーシ代表となり、同年にはシュトゥットガルトで開催された世界選手権に、妹のタチアナとともに出場。ノルウェートリネ・ハッテスタート、ドイツのフォルケルに次いで3位となる。妹のタチアナは姉のナタリアに次いで4位入賞を果たしている。

1994年には71m40を投げこの年の世界ランク1位を記録。翌1995年のイェーテボリで開催された世界選手権では、67m52で2位のルーマニアのフェリシア・ティレアに2m以上の差をつけ世界選手権を制した。

シコレンコの最後のオリンピックとなった1996年アトランタオリンピックでは、予選を62m32で決勝進出したものの、決勝では58m54と決勝進出者中最下位の12位という成績であった。

2025年5月15日に死去。61歳没[1]

主な実績

大会 場所 種目 結果 記録
1987 世界陸上競技選手権大会 ローマ(イタリア) やり投 14位(h) 60m40
1991 世界陸上競技選手権大会 東京(日本) やり投 11位 58m82
1992 オリンピック バルセロナ(スペイン) やり投 2位 68m26
1993 世界陸上競技選手権大会 シュトゥットガルト(ドイツ) やり投 3位 65m64
1994 IAAFグランプリファイナル パリ(フランス) やり投 1位 68m26
1995 世界陸上競技選手権大会 ヨーテボリ(スウェーデン) やり投 1位 67m56
1996 オリンピック アトランタ(アメリカ合衆国) やり投 12位 58m56
  • hは予選

脚注

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