タマラ・ブイコワとは? わかりやすく解説

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タマラ・ブイコワ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 02:39 UTC 版)

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獲得メダル
ソビエト連邦
陸上競技
オリンピック
1988 ソウル 走高跳
世界陸上競技選手権大会
1983 ヘルシンキ 走高跳
1987 ローマ 走高跳

タマラ・ブイコワ (Tamara Vladimirovna Bykova、ロシア語: Тамара Владимировна Быкова1958年12月21日 - )は、ソビエト連邦の陸上競技選手。女子走高跳の元世界記録保持者であり、1988年ソウルオリンピック女子走高跳の銅メダリストである。西ドイツウルリケ・マイフェルトとしばしば白熱した対決を演じた。

ブイコワは、1980年モスクワオリンピックに出場するもベストとは程遠く1.88mで9位という記録に終わっている。1982年のヨーロッパ陸上選手権で、ブイコワは1.97mで2位に終わっている。このとき優勝したのがマイフェルトで2.02mの世界新記録であった。

1983年のヨーロッパ室内陸上で、ついにブイコワは、2.03mの室内世界新を樹立した。夏におこなわれた第1回世界陸上でも、ブイコワはマイフェルトとともに1.99mをクリアし、両者2.01mに挑戦したものの、成功したのはブイコワだけで、第1回の世界チャンピオンはブイコワに輝いた。さらに、同年、ロンドンでおこなわれたヨーロッパカップでは、マイフェルトが2.03mの屋外世界新記録を樹立した直後、ブイコワも2.03mを成功するという世界新の競演となった。しかし試技数で、マイフェルトが勝り勝利を逃した。その4日後、今度はイタリアの競技会で対決したが、ブイコワは2.04mの世界新記録を樹立し勝利した。

翌年、ロサンゼルスオリンピックの直前、すでに不参加が決まっていたブイコワは2.05mの世界新記録を樹立する。オリンピックではマイフェルトが金メダルを獲得している。

1988年ソウルオリンピックでは、すでにブイコワは全盛期を過ぎていたが、オリンピックではじめてのメダルである銅メダルを獲得した。

主な実績

大会 場所 種目 結果 記録
1981 ユニバーシアード ブカレストルーマニア 走高跳 3位 1.94m
1981 IAAF陸上ワールドカップ ローマイタリア 走高跳 2位 1.96m
1982 ヨーロッパ陸上選手権 アテネギリシャ 走高跳 2位 1.97 m
1983 ユニバーシアード エドモントンカナダ 走高跳 1位 1.98m
1983 世界陸上選手権 ヘルシンキフィンランド 走高跳 1位 2.01m
1985 IAAF陸上ワールドカップ キャンベラオーストラリア 走高跳 2位 1.97m
1987 世界陸上選手権 ローマイタリア 走高跳 2位 2.04m
1988 オリンピック ソウル韓国 走高跳 3位 1.99m
1989 世界室内陸上選手権 ブダペストハンガリー 走高跳 2位 2.00m
1989 IAAF陸上ワールドカップ バルセロナスペイン 走高跳 2位 1.97m
1991 世界室内陸上選手権 セビリアスペイン 走高跳 2位 1.97m

自己ベスト

  • 走高跳(屋外) 2m05 (1984年6月22日、世界歴代9位)
  • 走高跳(室内) 2m03 (1983年3月6日)

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