ヒッポリュトス (対立教皇)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/01 03:53 UTC 版)
ヒッポリュトス(羅: Hippolytus, 古希: Ἱππόλυτος, 170年? - 235年)は、初期キリスト教の対立教皇である(在位:217年 - 235年)。サベリウス主義(のちに異端とされる)やゼフィリヌスを批判し、ローマ教皇カリストゥス1世と対立する[1]。235年、教皇ポンティアヌスとともにローマ皇帝(マクシミヌス・トラクス)の弾圧によりサルデーニャに流罪となり、死没した。早くから殉教者としてあつかわれ、聖ヒッポリュトスと称される(8月13日が記念日とされる[2])。
- ^ a b ピーター・トレメイン 『修道女フィデルマの叡智』創元推理文庫、2011年、P.285頁。
- ^ J・G・フレイザー 『金枝篇(一)』岩波文庫、1966年、P.45頁。
- ^ ヤコブス・デ・ウォラギネ 『黄金伝説3』岩波書店、2006年、P.166頁。
- ^ ヤコブス・デ・ウォラギネ 『黄金伝説3』岩波書店、2006年、P.192頁。
- ^ ヤコブス・デ・ウォラギネ 『黄金伝説3』岩波書店、2006年、P.197頁。
- ^ ヤーコプ・ブルクハルト 『コンスタンティヌス大帝の時代』筑摩書房、2003年、P.264頁。
- ^ 教義史綱要, p. 43.
- ^ 教義史綱要, p. 71.
- ^ 教義史綱要, p. 110.
- ^ エウセビオス 『エウセビオス「教会史」』講談社学術文庫、1953年、54p頁。
- ^ エウセビオス 『エウセビオス「教会史」』講談社学術文庫、1953年、56p頁。
- ^ 教義史綱要, p. 88.
- ^ 教義史綱要, p. 91.
- ^ a b c d e 『中世思想原典集成(1) 初期ギリシャ教父』平凡社、1995年。
- ^ 津田謙治「初期キリスト教教父思想におけるオイコノミア概念」『宗教研究』第91巻第2号、日本宗教学会、2017年、 153-175頁、2022年6月24日閲覧。
- 1 ヒッポリュトス (対立教皇)とは
- 2 ヒッポリュトス (対立教皇)の概要
- 3 脚注
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