バルト海での戦闘とは? わかりやすく解説

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バルト海での戦闘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 06:59 UTC 版)

クリミア戦争」の記事における「バルト海での戦闘」の解説

クリミアでの戦闘は、北欧においても転換期となったスウェーデンロシアからのフィンランド奪回意図講じ参戦計画した。これはナポレオン戦争以後スウェーデン武装中立主義覆すのだったイギリスフランススウェーデン政策支持しバルト海艦隊派遣した1854年英仏艦隊バルト海侵攻しフィンランド沿岸制圧する。 しかしスウェーデン議会戦争へ介入消極的で、当初中立宣言した。しかしこの中立は英仏にとって有益なものとなり、スウェーデン領であるゴットランド海港軍事基地として利用することが出来た英仏艦隊は、フィンランドとなっていたオーランド諸島迫っていたため、フランスよりオーランド諸島占領スウェーデン打診したが、スウェーデン王オスカル1世は、ロシア機雷使用したことを憂慮し慎重な姿勢取ったため、オーランド諸島奪回好機失われてしまった。1855年入りクリミアでの戦闘ロシア敗色濃厚となるとスウェーデン直接参戦意思露にする。 しかし、スウェーデン参戦時機逸していた。セバストポリ陥落スウェーデン参戦ロシア和平促すきっかけとなり、英仏艦隊バルト海から撤退した結局スウェーデン何の利益を得るところも無く戦争終結した。なお、スウェーデン人主体占めオーランド諸島は、列強諸国によるパリ条約において黒海同様、非武装地帯とすることで合意得たが、フィンランド独立後に帰属問題揺れ結局1921年フィンランド自治領になることが決定された。

※この「バルト海での戦闘」の解説は、「クリミア戦争」の解説の一部です。
「バルト海での戦闘」を含む「クリミア戦争」の記事については、「クリミア戦争」の概要を参照ください。

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