ハイフンの起源と歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/21 19:34 UTC 版)
ハイフンの考案と最初の使用は、しばしばマインツのヨハネス・グーテンベルクによる1455年ごろのグーテンベルク聖書の出版によるものであるとされる。アメリカ議会図書館におけるベラム(フバイ・インデックス#35)上の原本の調査は、グーテンベルクの活字が均一なスタイル(1ページあたり42個の均等の線)で行ぞろえされたセットであったことを示す。 グーテンベルクの印刷機は、適所に周囲の印刷しない、硬いフレームによって保持されることを、タイプの個々の文字から構成されている言葉に要求した。グーテンベルクは、右側のマージンで、最後の要素としてハイフンを挿入する、フレームを取り付けることによって各行を同じ長さにする問題を解決した。これは最後の言葉において文字を中断し、残っている文字が下の行のはじめに持ち越されることを必要とする。ハイフンが短い2本の60度の角度で右に傾く線が聖書に出現する。 中世と印刷の初期において、コンマの前身はスラッシュであった。ハイフンがこれと混同されるべきでないので、スラッシュのように傾き、等号と似た2本のスラッシュが使用された。筆記のフォームは時間とともにコンマの完全な開発を含んで変化し、ハイフンが1回の水平のストロークになった。 メリアム・ウェブスター辞書の第2版で、言葉を分割する場所で行の終わりに追加するハイフンとして、1個の小さくて僅かに傾いたスラッシュを使用したが、実際にフレーズの一部であったけれども、ただ偶然行の終わりにきたハイフンを示すために非常に古いシンボルと類似したダブルスラッシュを使用した。混乱がまったくないように、このダブルスラッシュは、テキストの中央でもハイフンでつながれたフレーズの中で使用された。
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