ネタ見せ番組の先駆け
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「爆笑オンエアバトル」の記事における「ネタ見せ番組の先駆け」の解説
1999年の番組放送開始の頃は、全国ネットで毎週放送される若手芸人によるネタ見せ番組はこの「爆笑オンエアバトル」のみであった。その後2003年までに番組の常連だったダンディ坂野、テツandトモ、長井秀和を始め、いわゆる「お笑い第五世代」と呼ばれる世代を中心に、お笑い第四世代を含む多数の芸人をブレイクさせた。その後民放でも若手芸人によるネタ見せ番組が多く放送されることとなり、2000年代のお笑いブームを牽引した。鈴木克道チーフプロデューサーは番組が始まって7年目でのインタビューにおいて、「常に新しい笑いにこだわってきた。審査のショーアップ化の話もあったが、番組への信頼を失いたくないのでベースは変えず、シンプルなままにしてきた」と語っている。なお2003年度をもって初期の常連芸人(博多華丸・大吉、アンジャッシュ、ルート33、おぎやはぎ、ハリガネロック、バカリズム、ペナルティ、ドランクドラゴン、ダンディ坂野、フットボールアワー、はなわ、ダイノジ、陣内智則、スピードワゴン、インパルス、テツandトモ、バナナマン、チャイルドマシーンほか)は一斉に卒業し、事実上の世代交代が図られた。 番組の初代プロデューサーである並木正行によれば、1996年・97年にNHK BS2で放送された特番『センター・マイク笑』が事実上の前身であるという。同番組のリサーチのために都内のお笑い系ライブハウスを回った際に、若手の漫才師に同年代の若い固定ファンがついているのを見て若手のお笑い芸人を集めた番組に手応えを感じたものの、出演者選考のためのオーディションを開いている時間的・制作費的余裕がなかったため「素人が評価するオーディションをそのまま番組にしてしまおう」と思いついたことが本番組の発端となっている。番組開始に先立ち主要なお笑い系の芸能プロダクションに連絡を取り番組への参加を打診したところ、制作側の予想に反しプロダクション側が好意的な反応を示したため実際に制作に踏み切った。
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