ネガティヴ技法を用いた土器の分布とは? わかりやすく解説

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ネガティヴ技法を用いた土器の分布

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/23 06:37 UTC 版)

ネガティブ技法」の記事における「ネガティヴ技法を用いた土器の分布」の解説

メソアメリカでは、紀元前1100年ごろのオルメカ文化時代からその技法先駆的なものがみられるようで胎土の白い土器顔料塗った際に文様部分掻き落としたかレジスト・ペインティングを用いたおもわれる土器メキシコ中央高原地方発見されている。またチャパス州紀元前600年ごろに平底口縁部外反してひろがるタイプ先古典期中期から後期独特のろうのような光沢をもつ土器表面にこの技法文様施されている。 メキシコ西部でもエル・オペーニョの2号墓からもこの技法用いた思われる幾何学文の土器出土している。また紀元前300年から紀元後300年ごろのコリマ州遺跡から出土した三脚土器四脚土器文様、またほぼ同時期のメキシコ中央高原のトラティルコのフラスコ状土坑などからも出土している。これらのことからネガティヴ技法起源紀元前1000年前後までさかのぼ可能性があるがまだ決着はついていない。 もっとも顕著なのがエルサルバドルウスルタン土器伝統であり、紀元前500年ごろからあらわれたOlocuitlaというグループから発展して紀元前後に橙色地に特徴的な波線文様浮き上がらせるイサルコ・ウスルタン(Izalco Usultan)という典型的なウスルタン土器現れ先古典期後期マヤ地域土器おおきな影響与えた古典期にはいりペテン低地では、下火になるが、ホンジュラスなどでは古典期段階でもチランガ赤彩(Chilanga Red-painted)土器というグループが残る。 北米では、ホープウェル文化遺跡からの出土みられることから少なくとも紀元前後にはこの技法使われ始めた思われるこの伝統はミシシッピ文化でも受け継がれエトワーやマウンドヴィルでも出土している。 アンデス地方では、すくなくとも形成期後期ないし前期中間期初頭紀元前300頃から紀元前後のパラカス文化現れるその後ペルー北海岸の紀元前200年前後から紀元前後のサリナール(Salinar)文化時代下ってモチェ文化並行のガリナソ(Gallinazo)文化やビクス(Vicús)文化でもこの技法用いられた。同時期のペルー北高地のレクワイ文化は、まさにこの技法典型例土器知られている。またさらに新し時期にあたる中期ホライズン紀元後700年頃-1000年頃)のワリ黒色彩文土器にもこの技法用いられている。 エクアドル中部海岸紀元前300年から紀元後700年頃に栄えたとみられる土偶知られるバイア(Bahía)文化同時期にエクアドル高地栄えたトゥンカワン(Tuncahán)文化チリのエル・モイエ(El Molle)文化紀元前後-700年)の土器にもこの技法みられる

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