ネオプラトニズムにおけるダイモーン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/26 14:37 UTC 版)
「ダイモーン」の記事における「ネオプラトニズムにおけるダイモーン」の解説
ダイモーンはネオプラトニズム哲学では重要な存在であった。ネオプラトニズムにおいては、エロースが神々と人間の中間的存在とされたように、ダイモーンは悪霊というよりもむしろ半神に近いものであった。キリスト教がプラトニズムを受容する際に、エウダイモーンは天使と同一視された。 キュプリアヌスはその著『偶像神の虚栄について』の中で、異教の神々をエウヘメロス的欺瞞だと喝破したが、これはダイモーンについて述べたことであった。ダイモーン(デーモン)はたやすく堕落し、その堕落を他者にうつそうとする不純なもので、人を惑わし、騙し、真実を見えなくし、信じやすい愚かな民衆を誤った方向に導くとした。このようにして「ダイモーン」はキリスト教的「デーモン」に移り変わった。 北アフリカのアプレイウスは『ソクラテスの神について』(2世紀)の中で、ダイモーンは種類としては生きた存在であり、理知の面では理性的な生きものであり、精神面では多感であり、身体面では空気のようなものでできており、時間においては永遠不滅であるとし、その5つの特徴のうち前の3つは人間と共通で、4番目はダイモーン固有のものであり、5番目は神と共通だが神よりも弱いとした。ギリシアやローマの神々は完璧な天界に住み、人間界の事象には煩わされないと考えられるようになっていった。一方ダイモーンは地上にいて感情を持つとされ、後に良いダイモーンと悪いダイモーンに分けて考えられるようになった。ウァレンティノス系のグノーシス派は様々な事象に対応するダイモーンを考案した。すなわち、預言、動物、国家守護、職業などのダイモーンである(権天使と守護聖人も参照)。
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