ニューヨーク万国博覧会 (1964年)とは? わかりやすく解説

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ニューヨーク万国博覧会 (1964年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/03 10:37 UTC 版)

ニューヨーク万国博覧会の会場

1964年/1965年ニューヨーク世界博覧会(ニューヨークせかいはくらんかい, New York World's Fair 1964/1965)は、1964年4月22日から1965年10月17日までアメリカ合衆国ニューヨーク市クイーンズ区フラッシング・メドウズ・パークで開催された国際博覧会である。

概要

国際博覧会への未公認と開催形態

1964年ニューヨーク万国博覧会は、国際博覧会条約(BIE条約)に基づく登録を受けていない非公式の万国博覧会であった[1][2]。当時のアメリカ合衆国政府はBIE加盟国でありながら、主催者であるロバート・モーゼスらの計画は、BIEが定める開催間隔(公式博は10年に1度)および会期(最大6か月)の規定に加え、参加国から土地使用料を徴収する方針など、条約上の原則に反していたため、BIEは本博覧会を登録・認定しなかった。未公認の博覧会となり、ソ連イギリスフランスなどの大国が参加を取りやめた[3][4]

開催期間の延長とアメリカ中心の性格

博覧会は1964年から1965年にかけて2シーズンにわたり開催され、総会期はBIEが認める上限を大幅に超える長期に及んだ[5]。BIE加盟国の多くは不参加を表明したが、アメリカ国内の州、自治体、企業、さらには一部の友好国が独自にパビリオンを出展した[6]。そのため、展示内容や運営方針はアメリカ合衆国の産業・科学技術・文化を中心とした色彩が強く、「アメリカ的価値観のショーケース」と評されることもあった[7]

アメリカ史上最大の万博

足掛け2年に渡り開催される「アメリカ史上最大規模の万博」として参加各企業や政府によって盛んに宣伝がなされたこともあり、来場者数は5,100万人に達したが、当初の目標の7,000万人は下回った。アメリカの大企業中心の博覧会になり各社ともに莫大な費用をかけたパビリオンを設けたことから、「ビリオンダラー博覧会」とも呼ばれた[3]

テーマ

ユニスフィア

第二次世界大戦中の1939年に行われた1回目のニューヨーク万国博覧会と同じマンハッタン近郊のフラッシング・メドウズにある会場を使用して、規模を拡大して開催された。

テーマは「相互理解を通じた平和(Peace Through Understanding)」で、テーマにそって会場中心には「ユニスフィア」と呼ばれる地球をかたどったモニュメントが飾られた。なお、「世界博覧会」と銘打っているものの、2年間にわたる開催かつ参加者から出展料を取る規則のため博覧会国際事務局(BIE)の公認は受けていない。

主なパビリオン

会場内夜景

当時のアメリカの好景気を反映して、2.6平方キロメートルという巨大な敷地にゼネラルモーターズフォード・モーターアメリカンエキスプレスIBMなどアメリカを代表する大企業のパビリオンが、世界各国の政府や自治体などによるパビリオンと同様、もしくはそれを上回る規模で建てられ高い人気を呼んだ。

参加国は開催国のアメリカをはじめ、日本スイスメキシコインドなど約60か国に及んだ。

日本は約2,388坪の日本館に政府関係として1号館にはJETROが、社団法人ニューヨーク世界博覧会協力会が民間企業の2号館と「HOUSE OF JAPAN」と名付けられたレストランの3号館が参加した。「HOUSE OF JAPAN」は日本庭園を持つ3階建ての日本趣味豊かなレストランで連日、ステージで伝統のショーが披露され人気を呼んだ。おもてなしの心を伝えるために客席、厨房を含め、1964年だけでも260余名が日本から派遣され接客にあたった。日本館の目玉となる展示品としては新幹線の実物大模型が出品された。日本館の設計は前川國男、会場構成は亀倉雄策が当たった。

政府・国際機関

中華民国館
ニューヨーク市館
ゼネラルモーターズ館
コダック館
フォード館前に展示されるマスタング

企業・団体

主なアトラクション・展示物

レガシー・現在

ニューヨーク万国博覧会の会場跡地は、現在もフラッシング・メドウズ・コロナ・パークとして保存・整備されている[8]。博覧会当時に建設された「ユニスフィア(Unisphere)」は、その象徴的モニュメントとして残されており、クイーンズ区を代表するランドマークとなっている[9]

また、ニューヨーク州館を改修した「ニューヨーク・ステート・パビリオン」や、「クイーンズ美術館(Queens Museum)」など、一部の建築物は文化施設やイベント会場として再利用されている[10]。博覧会を契機に整備された高速道路網や地下鉄アクセスは、その後のニューヨーク都市圏の交通基盤強化にも寄与したとされる[11]。観光需要や雇用創出による短期的な地域経済波及効果は数億ドル規模に達したとされる[12]

一方で、莫大な建設費を投じながら来場者数が目標に届かず、財政的には赤字を残したことから、商業主導型の万博として批判も受けた[13]。民間スポンサーや参加企業の宣伝効果が中心で、国際的・公共的意義が相対的に薄れたとの批判も存在する[14]。それでも本博覧会は、1960年代のアメリカ社会における「科学技術と未来志向の象徴」として記憶されており、その理念は後年のエプコット構想(EPCOT)や21世紀型テーマパーク開発にも影響を与えたとされる[15]

エピソード

イッツ・ア・スモールワールド
  • フォードの新型スポーツカー「マスタング」のワールドプレミアが、万博の開幕日にフォードのパビリオンで行われ、ヘンリー・フォード2世会長により発表された。
  • 1939年に行われた1回目のニューヨーク万国博覧会で人気を博したゼネラルモーターズ館の「フューチュラマ」の最新バージョンの「フューチュラマⅡ」が出展され、前回と同じく高い人気を博した。なお、1939年の際に出展されたアトラクションの新バージョンを出したのは同社が唯一であった。
  • ウォルト・ディズニーによって作られたペプシコーラ提供のユニセフ館の「イッツ・ア・スモールワールド」と、フォードが提供した自動運行交通システム「ピープルムーバー」は、その後カリフォルニア州アナハイムにあるディズニーランドに移築され、グッドイヤーの提供で1990年代後半まで運営された。
  • 日本館に展示された新幹線は、会期中の1964年10月1日に営業運転を開始した。なお、会場内に展示されたのはモックアップであった。
  • 手塚治虫毎日新聞の特派員として取材に訪れた際にウォルト・ディズニーと対面した。

脚注

  1. ^ 『ニューヨーク・タイムズ』1963年5月3日付「BIE Rejects New York Fair」
  2. ^ 米国博覧会委員会『The Official Guide to the New York World's Fair 1964/1965』(1964年)
  3. ^ a b 博覧会資料COLLECTION ニューヨーク世界博覧会 管理コード:635乃村工藝社
  4. ^ Bureau International des Expositions, History of World Expositions: 1960–1970(公式記録集, 1972年)
  5. ^ New York World's Fair Corporation, Official Report 1964–1965(1966年)
  6. ^ U.S. Department of State, Participation in the 1964–65 New York World’s Fair(1965年)
  7. ^ Smithsonian Institution Archives, The Legacy of the 1964–65 New York World’s Fair(2014年)
  8. ^ New York City Department of Parks & Recreation, Flushing Meadows–Corona Park History(2020年)
  9. ^ National Park Service, National Register of Historic Places Registration Form: Unisphere(1995年)
  10. ^ Queens Museum, History of the Building(2018年)
  11. ^ New York Metropolitan Transportation Council, Regional Transportation Planning Archives(2010年)
  12. ^ U.S. Department of Commerce, Economic Impact of Major Fairs and Expositions(1970年)
  13. ^ The New York Times, “Fair Ends in Deficit; Moses Defends Spending,” October 18, 1965
  14. ^ Time Magazine, “The Fair That Lost Its Way,” August 6, 1965
  15. ^ Walt Disney Archives, EPCOT Concept Development Notes(1977年)

関連項目

外部リンク




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