ドーハのとばっちり事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 13:54 UTC 版)
「伊集院光のOh!デカナイト」の記事における「ドーハのとばっちり事件」の解説
1993年10月28日、この日はアメリカワールドカップアジア地区最終予選・日本対イラク戦(俗に言う『ドーハの悲劇』)の中継があり、さらにこの試合で日本がW杯出場を決めた場合にはそのあとに特別放送が追加放送されることが決まっていたため、日本がW杯を逃した場合に限って時間枠の余りで短縮放送を行うことになっていた。待機時間中、伊集院は社屋内の公開放送用の第1スタジオ(通称「銀河スタジオ」)にリスナーを約150人ほど集め、一緒にテレビ東京で放送されていたテレビ中継を観戦していた。試合は終盤まで日本リードで進んだため一旦は特番放送、本番組の完全休止が一旦スタッフから告げられ、スタッフたちは特番の準備を始めていた。ところが、ロスタイムにイラクに得点を決められて引き分けとなり、日本の予選敗退に終わってしまった。 まさかの事態に伊集院とリスナーはショックにうなだれていると、スタジオのガラスの向こうが俄然慌しくなり、ディレクターとは違う偉い人が現れ、「10分だけスタジオに戻るので、いつものように楽しいトークを放送してくれ」と伝えられる。伊集院は「集まったリスナー達でさえショック状態にあるのに、家で1人で試合を見聞きしてた人はショックから立ち直れる訳もなく楽しい状況にあるわけもなく出来るわけない」と思っていたが、当時のディレクターだった森谷和郎(現・ニッポン放送取締役)に「出来る」と断言されてしまい、有無も言わさずオープニング曲が流れてきて、番組はスタート。重い空気に包まれたスタジオで、伊集院は苦し紛れに「(当時日本代表選手だった)ラモス瑠偉がショックでまさおに戻っちゃうね」という、当時放映されていた永谷園「Jリーグカレー」のTVCM(Jリーグカレーを食べたまさお少年がラモス瑠偉にモーフィングで変身する)にかけたジョークを喋ったが、その結果「冗談言ってる場合じゃない!」と抗議の電話がニッポン放送に殺到する事態となった。この頃の伊集院は、1分1秒でも長く放送で話したいと思っていたそうだが、この日ほど話したくないと思ったことは無いとのこと。
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