ドイツ観念論という呼称とは? わかりやすく解説

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ドイツ観念論という呼称

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/10 17:08 UTC 版)

ドイツ観念論」の記事における「ドイツ観念論という呼称」の解説

ドイツ観念論」期と呼ばれていた時代の人々は、自らの哲学ドイツ観念論とは呼んでいなかった。「ドイツ観念論」という呼称は、20世紀初頭の新カント学派(Neukantianismus)や新ヘーゲル学派哲学史学者達(リヒャルト・クローナーニコライ・ハルトマンなど)が、これら一連の思想家総称としてドイツ観念論」として紹介したことにより、普及したのである。この名称は、同時代哲学史家のローゼンツヴァイク1917年発見しドイツ観念論最古体系プログラム」(独: Das älteste Systemprogramm des deutschen Idealismus)と呼んだ著者不明哲学的断片1796年から1797年の間に筆記)に拠っている。この名称自体草稿本文にはなくローゼンツヴァイク付したのである。 なお、この断片著者について幾つかの説がある。断片自体ゲオルク・ヘーゲルによって書き写されたものであるローゼンツヴァイクはこれをフリードリヒ・シェリングのものであるとした。しかしのちに筆者としてヘーゲルヘルダーリン集団筆者説などが提唱され、どれも決定的な説とはなっていない。草稿内容は上に挙げた三人思想大きく関わっているものの、フィヒテとは関わり薄く、その点から「ドイツ観念論最古体系プログラム」という名称の妥当性にも疑問がある。たとえば体系草稿倫理学美的なものの結びつき要求し民衆与えられるべき哲学的な新し神話」の創出哲学目標とするが、フィヒテにはそのような美的なものへの関心要求は薄い。 このようにドイツ観念論者と総称されている思想家中でもその内容思想家によって様々に異なる。しかしカント哲学出発点として「自己意識」や「精神」、「自我」などの精神的なもの、さらに言えば前に触れているとおり、その根底として観念的原理自己展開をおき、それを絶対者あるいは神と呼んで後者との関わりによって世界人間本質捉える立場から説明しようとする「観念論」の立場哲学であるという点では一致していると言える

※この「ドイツ観念論という呼称」の解説は、「ドイツ観念論」の解説の一部です。
「ドイツ観念論という呼称」を含む「ドイツ観念論」の記事については、「ドイツ観念論」の概要を参照ください。

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