ドイツの購入後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/05 07:24 UTC 版)
「システィーナの聖母」の記事における「ドイツの購入後」の解説
1754年にザクセン選帝侯であり、ポーランド王でもあったアウグスト3世が『システィーナの聖母』を110,000 - 120,000フランで購入し、ドレスデンの自身の絵画コレクションに加えた。2001年には美術史家ハンス・ベルティンとエレン・アトキンスが『システィーナの聖母』がドイツ美術界に与えた影響について述べている。 ラファエロの『システィーナの聖母』ほどドイツ人の想像力をかきたて、芸術と宗教との融合あるいは乖離の議論となった絵画は他に存在しない。幾度となく「世界で最高の絵画」「神」そのものであると賞賛されている。 伝承によれば『システィーナの聖母』は即座にアウグストゥス3世のコレクションのなかでも最重要の絵画となり、この絵画をよりよい状態で展示するために自身の宮廷を移したともいわれている。ドイツ人美術史家ヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマンが1764年に著した有名な『古代美術史』(Geschichte der Kunst des Alterthums)のなかで『システィーナの聖母』を激賞し、古典的様式とキリスト教的精神との見事な融合についてページを割いている。「敬虔なクリスチャン」としてだけではなく、ギリシア・ローマ神話の女神ユノを彷彿とさせる「聖なる異教徒」にも見えるラファエロの聖母マリアの表現手法は、ドイツ人一人一人の心に「ラファエロの理想」とでもいうべきイメージを植え付けた。 『システィーナの聖母』について18世紀終わりに伝説が生まれた。ラファエロが実際に聖母マリアに出会い、天界の光景をその目で見てこの絵画を描いたというもので、広く人々に知られ、戯曲としても演じられるほどだった。この伝説は『システィーナの聖母』を観るものを熱狂させ、中にはジークムント・フロイトのある患者のように、この絵画を観るだけで宗教的恍惚に陥るものも出てくるほどであった。ドイツロマン主義の象徴に祭り上げられ、ゲーテ、ワグナー、ニーチェらドイツの文化人たちにも影響を与えた。1855年に「新王立美術館」(Neues Königliches Museum)がゴットフリート・ゼンパーの設計によって完成し、『システィーナの聖母』は専用の展示室に収められた。
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