デ100形デ200形とは? わかりやすく解説

デ100形・デ200形

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 10:03 UTC 版)

伊那電気鉄道の電車」の記事における「デ100形・デ200形」の解説

1923年の1200V昇圧伴って用意され両運転台ボギー電動車で、デ100形3両(デハ100 - 102)、デ200形5両(デハ200 - 204)が汽車製造東京支店製造された。製造当初前記順番1 - 3・4 - 8と称したが、1926年第2次改番により2形式区分された。 車体長さ16m級木製片側3か所に客用扉を設けており、屋根モニター形である。デ100形とデ200形車体同一で、台車主電動機といった走行機器関係が異なるのみである。側窓配置は1D141D141D1、前面貫通となっている。車体最大寸法は、長さ15,875mm×幅2,642mm×高さ4,147mmで、座席ロングシート定員84人(うち座席52人)である。制御装置はいずれも非自動間接制御(HL)である。 走行機器に関しては、デ100形主電動機が78.3 kW×4基、歯車比が1:2.65、台車鉄道省TR14(後のDT10)同等であったのに対し、デ200形は、電動機出力は74.6 kW×4基、歯車比が1:4.56、台車ブリル27MCB-2である点が異なっていた。 買収後は、伊那松島配属のまま架線電圧1200Vの飯田線天竜峡以北使用されたが、同区間の1500V昇圧に伴い、両形式全車1951年富山港線へ移った。 この時点で、101, 102片運転台化され100両運転台のまま電装解除のうえ制御車化されており、1953年6月車両形式称号規程改正の際には、101, 102モハ1900形1900, 1902)、100クハ5910形(5910)に改められた。その後、両形式とも1954年昭和29年3月廃車され、いずれも私鉄払下げられた。 一方200形は、主電動機出力小さいことから早期淘汰対象となり、1951年10月203廃車となったのを皮切りに1953年3月までに全車廃車あるいは車種変更され国鉄形式与えられなかった。このうち2011952年救援車として客車類別変更されナヤ16870形(16872。翌年改番ナエ17100形(17122))となったほか、200204私鉄払下げられている。

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